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赤坂宿「大橋屋(旅籠屋)」
赤坂宿は、東隣の御油宿とわずか4里 (1.6km) しか離れていない。東海道53次の中で最も短い距離である。赤坂は、幕府の直轄地であり、また、峠の麓にある宿場として大いに賑わったという。享保の時代 (18世紀前半) には、旅籠屋が83軒あった。
宿場の中ほどに、独特の造りをした格子窓やひさしのある2階建ての旅籠屋が残されている。「大橋屋」 といい、つい最近まで旅館として営業を続けてきたが、残念ながらこの3月に閉鎖された。

間口9間、奥行23間という比較的大きな旅籠である。かの有名な松尾芭蕉や歌川 (安藤) 広重も泊まったという。芭蕉は 「夏の月 御油より出でて 赤坂や」 という句を残している。広重が描いた 『東海道五十三次・赤坂』 は、この大橋屋の中庭を描いたものであるという。
中へ入ると、そこは旅人が草鞋を脱ぐ見世間であり、黒光りする階段を登ると多くの部屋が並んでいる。江戸時代初期、1649年に創業して以来360年以上の歴史あるたたずまいを、今も感ずることができる。豊川市の文化財に指定されており、来年から一般公開されるという。

宿場の中ほどに、独特の造りをした格子窓やひさしのある2階建ての旅籠屋が残されている。「大橋屋」 といい、つい最近まで旅館として営業を続けてきたが、残念ながらこの3月に閉鎖された。

間口9間、奥行23間という比較的大きな旅籠である。かの有名な松尾芭蕉や歌川 (安藤) 広重も泊まったという。芭蕉は 「夏の月 御油より出でて 赤坂や」 という句を残している。広重が描いた 『東海道五十三次・赤坂』 は、この大橋屋の中庭を描いたものであるという。
中へ入ると、そこは旅人が草鞋を脱ぐ見世間であり、黒光りする階段を登ると多くの部屋が並んでいる。江戸時代初期、1649年に創業して以来360年以上の歴史あるたたずまいを、今も感ずることができる。豊川市の文化財に指定されており、来年から一般公開されるという。

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