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舞坂宿脇本陣
新居関所を越え、今切渡船場から渡し舟で浜名湖を渡ると舞坂渡船場に到着する。舞坂宿は江戸から数えて30番目の宿駅である。弘化2年 (1845) の資料によれば人口約1200人、戸数は265戸であったという。比較的大きな宿場町である。
渡船場近くに「茗荷 (みょうが) 屋」と呼ぶ脇本陣がある。元は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成されていたが、現在は書院棟一棟が残されている。旧東海道に脇本陣は他になく、唯一の遺構として、非常に貴重な存在となっている。

平成7年に、復元保存のための解体工事が行なわれた。書院棟の鬼瓦に 「天保九年」 との篦書が発見され、また、床の間落掛材に 「天保九年戌春ヨリ秋迄数月」 との墨書が見つかったことにより、建築年次は天保9年 (1838) であることが判明した。下の写真は、上湯殿・上段の間・庭園・炊事場である。
注):地名の「舞坂」は、現在では「舞阪」の字を使用している。

渡船場近くに「茗荷 (みょうが) 屋」と呼ぶ脇本陣がある。元は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成されていたが、現在は書院棟一棟が残されている。旧東海道に脇本陣は他になく、唯一の遺構として、非常に貴重な存在となっている。

平成7年に、復元保存のための解体工事が行なわれた。書院棟の鬼瓦に 「天保九年」 との篦書が発見され、また、床の間落掛材に 「天保九年戌春ヨリ秋迄数月」 との墨書が見つかったことにより、建築年次は天保9年 (1838) であることが判明した。下の写真は、上湯殿・上段の間・庭園・炊事場である。
注):地名の「舞坂」は、現在では「舞阪」の字を使用している。

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