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浜松城の井戸
左の写真は、天守閣のすぐ下にある井戸である。説明板によれば “天守曲輪に1つ” とあるので、これがその井戸であろう。「銀明水」 と名付けられていた。
天守閣の 「穴蔵」 と呼ばれる地階にも井戸があった。戦の時に籠城になることも想定されるため、最後の拠点としての飲み水確保が必要であったのだろう。構造は井戸の周りに石を積んで崩れないようにする 「石組井戸」 である。昭和33年の再建時に調査され、右の写真のように整備された。

このほかに、本丸に1つ、二の丸に3つ、作左曲輪に4つ、合計10か所の井戸があったという。安政元年 (1854) の大地震の後に描かれた 「安政元年浜松城絵図」 (浜松史蹟調査顕彰会蔵) を見ると、本丸の中ほどに “丸に井の字” を書いた印があり、曲輪には “清水場” との記述を2か所見つけることができる。

天守閣の 「穴蔵」 と呼ばれる地階にも井戸があった。戦の時に籠城になることも想定されるため、最後の拠点としての飲み水確保が必要であったのだろう。構造は井戸の周りに石を積んで崩れないようにする 「石組井戸」 である。昭和33年の再建時に調査され、右の写真のように整備された。

このほかに、本丸に1つ、二の丸に3つ、作左曲輪に4つ、合計10か所の井戸があったという。安政元年 (1854) の大地震の後に描かれた 「安政元年浜松城絵図」 (浜松史蹟調査顕彰会蔵) を見ると、本丸の中ほどに “丸に井の字” を書いた印があり、曲輪には “清水場” との記述を2か所見つけることができる。

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