Entries
遠江国・国府跡
先日 (12月9日) 国分寺跡についてご紹介したときには、すぐ近くに国府跡があることを知らなかった。後日訪れたときに、県道を挟んだ東側に 「府八幡宮」 という神社があり、これが国府の跡だと知って驚いた。名称に 「府」 とあるのが、国府であったことのしるしであるとのこと。
入口に大きな鳥居があり、府八幡宮と書かれた扁額が掲げられている。文久3年 (1863) に建てられたものといわれているが、根元が傷んでいるせいかコンクリートで固められている。参道を進むと左側に杮葺 (こけらぶき) の楼門がある。建造は寛永12年 (1635) と古く、県の文化財に指定されている。楼門をくぐると中門があり、その奥に拝殿、本殿が続いている。

楼門の隣に、風変わりで朽ちかけた土塀を見つけた。玉石の上に粘土が固められ、最上部は瓦で葺いてある。説明を聞くと、明治以前は隣に神宮寺というお寺があり、神社との境界に築かれていたものだという。右端に小さな石碑があり、確かに 「神宮寺跡」 と記されていた。
国分寺や国府の置かれていたこの地は、奈良時代には遠江国の中心地であったものと思われる。

入口に大きな鳥居があり、府八幡宮と書かれた扁額が掲げられている。文久3年 (1863) に建てられたものといわれているが、根元が傷んでいるせいかコンクリートで固められている。参道を進むと左側に杮葺 (こけらぶき) の楼門がある。建造は寛永12年 (1635) と古く、県の文化財に指定されている。楼門をくぐると中門があり、その奥に拝殿、本殿が続いている。

楼門の隣に、風変わりで朽ちかけた土塀を見つけた。玉石の上に粘土が固められ、最上部は瓦で葺いてある。説明を聞くと、明治以前は隣に神宮寺というお寺があり、神社との境界に築かれていたものだという。右端に小さな石碑があり、確かに 「神宮寺跡」 と記されていた。
国分寺や国府の置かれていたこの地は、奈良時代には遠江国の中心地であったものと思われる。

- 関連記事
-
- 掛川城の天守閣と御殿 (2016/01/09)
- 遠江国・国府跡 (2015/12/27)
- 東山植物園の温室 (2015/12/13)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/241-2ee0fee8
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)