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木原一里塚と袋井宿の茶屋
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」 一休さん (一休宗純) の狂歌です。彼特有の皮肉か禅問答なのでしょう。それはともかく・・・新年おめでとうございます。
今年のブログのスタートも、一里塚から始めたいと思います。磐田市の見付宿と袋井市の袋井宿の間に木原という村があり、そこに江戸から数えて61番目の一里塚がありました。1里は約4kmですから、約240km離れていることになります。東京国立博物館に 「東海道分間延絵図」 が残されており、その木原村の部分に一里塚が描かれています (右図)。左の写真は、復元された一里塚で、元の位置より60mほど西につくられています。

袋井宿は、他の宿より少し遅れて元和2年 (1616) に開設されました。江戸から27番目の宿ですから、五十三次のちょうど真中に当たります。最近では 「此処はどまん中袋井宿」 などという看板を設置して、観光PRに努めています。宿の東端、川のほとりに 「お茶屋」 がありました。江戸時代の旅人も、足を休め咽喉をうるおすために、このような茶屋に立ち寄ったのでしょう。

今年のブログのスタートも、一里塚から始めたいと思います。磐田市の見付宿と袋井市の袋井宿の間に木原という村があり、そこに江戸から数えて61番目の一里塚がありました。1里は約4kmですから、約240km離れていることになります。東京国立博物館に 「東海道分間延絵図」 が残されており、その木原村の部分に一里塚が描かれています (右図)。左の写真は、復元された一里塚で、元の位置より60mほど西につくられています。

袋井宿は、他の宿より少し遅れて元和2年 (1616) に開設されました。江戸から27番目の宿ですから、五十三次のちょうど真中に当たります。最近では 「此処はどまん中袋井宿」 などという看板を設置して、観光PRに努めています。宿の東端、川のほとりに 「お茶屋」 がありました。江戸時代の旅人も、足を休め咽喉をうるおすために、このような茶屋に立ち寄ったのでしょう。

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