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二宮金治郎の像
最近はあまり見かけなくなったが、かつては多くの小学校に 「二宮金治郎の像」 が設置されていた。幼い少年が、薪 (たきぎ) を背負って歩きながら本を読んでいる姿に、「勤労」 「勉学」 という 「徳」 を表現したものであろう。最近では、このような道徳的な施設を避けるためか、歩きながらの読書は危険であるためか、金治郎の彫像を見ることはほとんどない。

掛川城の隣に報徳運動の中心施設 「大日本報徳社」 がある。報徳運動とは、明治維新前後の日本近代化黎明期に、二宮尊徳が唱えた報徳思想を普及させるための運動である。尊徳は全国各地の困窮した600余の農村救済に尽力したが、その体験から生まれた考え方である。その柱は、「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」 であるという。
この運動は全国に浸透し、多くの団体が結成されたが、静岡県特に掛川地方で活動が盛んであった。その中心施設がここで、大講堂 (上の写真=国重要文化財)、正門 (県文化財)、図書館 (下の写真=県文化財) などが整っている。


掛川城の隣に報徳運動の中心施設 「大日本報徳社」 がある。報徳運動とは、明治維新前後の日本近代化黎明期に、二宮尊徳が唱えた報徳思想を普及させるための運動である。尊徳は全国各地の困窮した600余の農村救済に尽力したが、その体験から生まれた考え方である。その柱は、「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」 であるという。
この運動は全国に浸透し、多くの団体が結成されたが、静岡県特に掛川地方で活動が盛んであった。その中心施設がここで、大講堂 (上の写真=国重要文化財)、正門 (県文化財)、図書館 (下の写真=県文化財) などが整っている。

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