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明治トンネル
宇津ノ谷峠を越える東海道は、古代からの重要な街道で、峠越えは難所として知られていました。明治7年 (1874)、交通の利便性を向上させるために、地元の有力者が発起人となってトンネル工事を開始しました。難工事は明治9年に完了しましたが、岡部宿側の掘削と丸子宿側の掘削がずれたため、「く」 の字に折れ曲がったトンネルになってしまいました。構造も両側では異なり、丸子側は石積みでしたが、岡部側は角材を合掌造りに組んだものでした。
日本最初の有料トンネルとして、明治9年11月から使用開始されましたが、明治29年に照明用のカンテラから出火して木製枠組が焼失し、トンネル入口が崩壊してしまいました。現在のトンネルは、明治36年に煉瓦積みで再整備されたものです。

今度は直線で約200mの延長、イギリス式の4重煉瓦積み工法で造られました。自動車通行が主流になる昭和5年には、西側に新たなトンネルが完成し、現在は自転車と人だけの通路になっています。高い技術による建設と良好な保存状態が評価されて、現役のトンネルとしては全国初の国登録文化財になりました。
トンネルの前後はうっそうとした樹林で、日陰に生育するアオキが紅い実をつけていました。坑内の赤い煉瓦壁やカンテラ風の照明などにより、明治時代の雰囲気を味わうことができます。途中、毎日自転車でこの道を通っていると言う人に出会いました。

日本最初の有料トンネルとして、明治9年11月から使用開始されましたが、明治29年に照明用のカンテラから出火して木製枠組が焼失し、トンネル入口が崩壊してしまいました。現在のトンネルは、明治36年に煉瓦積みで再整備されたものです。

今度は直線で約200mの延長、イギリス式の4重煉瓦積み工法で造られました。自動車通行が主流になる昭和5年には、西側に新たなトンネルが完成し、現在は自転車と人だけの通路になっています。高い技術による建設と良好な保存状態が評価されて、現役のトンネルとしては全国初の国登録文化財になりました。
トンネルの前後はうっそうとした樹林で、日陰に生育するアオキが紅い実をつけていました。坑内の赤い煉瓦壁やカンテラ風の照明などにより、明治時代の雰囲気を味わうことができます。途中、毎日自転車でこの道を通っていると言う人に出会いました。

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