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牧之原の茶畑
牧之原から島田、菊川一帯には、見事な茶畑が広がっている。遠く富士山を望み、大井川を見下ろす標高40mから200mの台地は、古くは大井川の扇状地であったと考えられている。水はけの良い赤土で弱酸性のこの土地は、水利もないため水田には不向きで、入会地としての草刈場であった。
この地を開発したのは、明治になってからの徳川家家臣たちである。慶応3年 (1867) に大政奉還した最後の将軍慶喜は、江戸を離れて駿府に隠居することとなった。ともに移住した家臣たちは、明治2年の版籍奉還により職を失い武士を捨てることになる。彼らは一大決心をしてこの荒地を開墾し、幾多の艱難を乗り越えて茶畑をつくったのである。

年中暖かく、日照時間の長い静岡はチャの生育に適しており、ミカンとともに一大生産地となっている。また、適度な勾配の斜面に、コンターラインを描くよう綺麗に刈り込まれた茶畑は、景観としても美しく 「人と自然が織りなす日本の風景百選」 にも選ばれている。
茶畑に等間隔で設置された送風機は防霜ファンといい、遅霜による新芽の被害を防ぐため空気を撹拌する装置である。

この地を開発したのは、明治になってからの徳川家家臣たちである。慶応3年 (1867) に大政奉還した最後の将軍慶喜は、江戸を離れて駿府に隠居することとなった。ともに移住した家臣たちは、明治2年の版籍奉還により職を失い武士を捨てることになる。彼らは一大決心をしてこの荒地を開墾し、幾多の艱難を乗り越えて茶畑をつくったのである。

年中暖かく、日照時間の長い静岡はチャの生育に適しており、ミカンとともに一大生産地となっている。また、適度な勾配の斜面に、コンターラインを描くよう綺麗に刈り込まれた茶畑は、景観としても美しく 「人と自然が織りなす日本の風景百選」 にも選ばれている。
茶畑に等間隔で設置された送風機は防霜ファンといい、遅霜による新芽の被害を防ぐため空気を撹拌する装置である。

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