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菊川坂の石畳
日坂の急な上り坂を息せき切って登ると、しばらくは平らな台地 「小夜の中山峠」 である。東海道では、箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ三大難所に数えられていた。峠付近には真言宗の久延寺があり、悲しい物語をもつ 「夜泣石」 が祀ってある。
峠を過ぎると、今度は急な下り坂になる。菊川へ向かっての細道は、歩きやすいように玉石の石畳になっている。これは江戸時代後期につくられたもので、長さは380間 (約700m) もあったという。当時は 「助郷」 という制度があって、様々な仕事が地元に命ぜられていた。この石畳は、近隣12か村の農民に割り当てられたものである。

以前、熊野古道 (2013・8・5) の石畳を歩いたことがあるが、そこは1㎡はあろうかと思われる大きな岩を並べたものであった。ここ菊川は、ひとりで持ち上げられるほどの玉石である。道幅は2間 (3.6m) ほどであるが、大量の石を運び上げて敷設するには、大変な困難があったであろう。
眼下に菊川宿の集落を見るこの石畳は、昭和30~40年代の工事により、多くが破損してしまった。現在は約160mが残るのみである。平成12年に発掘調査が行なわれ、翌年、県の文化財に指定された。

峠を過ぎると、今度は急な下り坂になる。菊川へ向かっての細道は、歩きやすいように玉石の石畳になっている。これは江戸時代後期につくられたもので、長さは380間 (約700m) もあったという。当時は 「助郷」 という制度があって、様々な仕事が地元に命ぜられていた。この石畳は、近隣12か村の農民に割り当てられたものである。

以前、熊野古道 (2013・8・5) の石畳を歩いたことがあるが、そこは1㎡はあろうかと思われる大きな岩を並べたものであった。ここ菊川は、ひとりで持ち上げられるほどの玉石である。道幅は2間 (3.6m) ほどであるが、大量の石を運び上げて敷設するには、大変な困難があったであろう。
眼下に菊川宿の集落を見るこの石畳は、昭和30~40年代の工事により、多くが破損してしまった。現在は約160mが残るのみである。平成12年に発掘調査が行なわれ、翌年、県の文化財に指定された。

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