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洗堰
庄内川流域は、江戸時代から頻繁に水害に見舞われてきました。これは、流出土砂の堆積による河床の上昇が一因であるといわれています。特に、味鋺村から五条川までがもっともひどく、庄内川右岸は湿地化していきました。
こうした破堤による水害や湿地化を防ぐために計画されたのが新川の開削です。庄内川の水を分流し、五条川や大山川と合流させて、伊勢湾まで流す延長約20kmの川を掘ろうというものです。着工は天明4年 (1784)、完成したのは天明7年のことです。尾張藩はこのために40万両もの大金を投入し、流域数百の村々が工事に加わったといいます。

大雨などにより庄内川が増水すると、流水の一部をバイパスである新川の方へ流すことにより水害を防ごうとするシステムです。そのために、堤防の一部を低くして、洗堰緑地から新川の方へ越流させる装置が「洗堰」です。長さ56m、一般の堤防より約4m低くなっています。
かつてこの地方には、「小田井人足」 という “怠け者” を表す悪口がありましたが、本当は違うのです。尾張藩は、城下である左岸側を守るため、洪水が起こると右岸側の堤防を小田井の農民に切らせたのです。自分たちの家や田圃を犠牲にせざるを得ない不条理な命令に対して、怠け者のふりをして時間延ばしをし、村を守ろうとする切実な行動だったのです。
《下の写真で、赤い点線のように堤防が窪んでいることが分かりますか?》

こうした破堤による水害や湿地化を防ぐために計画されたのが新川の開削です。庄内川の水を分流し、五条川や大山川と合流させて、伊勢湾まで流す延長約20kmの川を掘ろうというものです。着工は天明4年 (1784)、完成したのは天明7年のことです。尾張藩はこのために40万両もの大金を投入し、流域数百の村々が工事に加わったといいます。

大雨などにより庄内川が増水すると、流水の一部をバイパスである新川の方へ流すことにより水害を防ごうとするシステムです。そのために、堤防の一部を低くして、洗堰緑地から新川の方へ越流させる装置が「洗堰」です。長さ56m、一般の堤防より約4m低くなっています。
かつてこの地方には、「小田井人足」 という “怠け者” を表す悪口がありましたが、本当は違うのです。尾張藩は、城下である左岸側を守るため、洪水が起こると右岸側の堤防を小田井の農民に切らせたのです。自分たちの家や田圃を犠牲にせざるを得ない不条理な命令に対して、怠け者のふりをして時間延ばしをし、村を守ろうとする切実な行動だったのです。
《下の写真で、赤い点線のように堤防が窪んでいることが分かりますか?》

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