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清見寺(朝鮮通信使遺跡)

 清水港を見下ろすこの地は、山が海に迫り、自然の要害をなす地勢である。古くは、東北の蝦夷に備えて関所が設けられていたので 「清見関」 と呼ばれていた。戦国時代など戦乱の折には、重要な拠点として、争奪の巷と化すこと多々であったという。今もこの狭い海岸沿いに、東海道本線・東海道新幹線・国道1号線・東名高速道路・清見バイパスが所狭しと並走している。
 関所の傍らに、その鎮護のために仏堂が建てられたのが「清見寺」の始めだという。鎌倉時代の中ごろ弘長2年 (1262) のことで 「清見関寺」 と呼ばれていた。今川氏や徳川家にも庇護を受け、明治維新の変革の際にも荒廃を免れて、今も立派な七堂伽藍が残されている。

清見寺マップ

 山門の柱に、「史蹟 清見寺境内―文部省」 と記す銅張りの看板が架かっている。また、境内の説明板には 「国指定史蹟 朝鮮通信使遺跡」 と書かれている。豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後断絶していた李氏朝鮮との国交を回復するため、徳川家康は朝鮮通信使の派遣を提案した。徳川将軍の代替わりの度に来日した使節団の休憩所として使用されたのがこの清見寺である。今も、書画や漢詩に優れた通信使による書や扁額が多数残されている。

清見寺C
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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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