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諸戸水道貯水池遺構
北勢線 「馬道駅」 から 「西桑名駅」 へ向かう途中に、この遺構があった。桑名の町を見下ろす小高い丘の上、広大な諸戸邸の近くである。明治時代に桑名の豪商諸戸清六氏 (初代) は、水に困っていた地元の人たちのために、私財を投じてこの水道施設を整備したのだという。

明治32年 (1899)、自家用の水道を敷設するとともに、町民の使用に耐えうる水量を確保し、明治37年、町内に55か所の給水栓と24か所の消火栓を設置して無料で開放した。煉瓦造の貯水池は、東西13.4m、南北23.2m、深さ3.6m、約950トンの水を蓄えることができる。全国で7番目に建設されたこの水道施設は、大正12年 (1924) には町に寄贈され、昭和4年まで使用された。

貯水池は2つの部屋に分かれており、それぞれの部屋をジグザグに水が流れるような構造になっている。古い図面を見ると、貯水池の上に木造の上屋が描かれている。写真で見る富士山型のレンガ積みが上屋の基礎になっていたのであろう。諸戸邸に接して小さな公園広場があり、そこからフェンスで囲まれた貯水池を見ることができる。


明治32年 (1899)、自家用の水道を敷設するとともに、町民の使用に耐えうる水量を確保し、明治37年、町内に55か所の給水栓と24か所の消火栓を設置して無料で開放した。煉瓦造の貯水池は、東西13.4m、南北23.2m、深さ3.6m、約950トンの水を蓄えることができる。全国で7番目に建設されたこの水道施設は、大正12年 (1924) には町に寄贈され、昭和4年まで使用された。

貯水池は2つの部屋に分かれており、それぞれの部屋をジグザグに水が流れるような構造になっている。古い図面を見ると、貯水池の上に木造の上屋が描かれている。写真で見る富士山型のレンガ積みが上屋の基礎になっていたのであろう。諸戸邸に接して小さな公園広場があり、そこからフェンスで囲まれた貯水池を見ることができる。

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