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清見寺庭園と五百羅漢
清見寺本堂の北側、急峻な山地との間に池と砂利とで構成された明るい庭園がある。江戸時代初期に築庭され、中期にさらに手が加えられたと伝えられている。家康は殊の外この庭を愛し、駿府城より虎石・亀石・牛石を移してこの庭に配したという。
池は、ひょうたんの形をしており、真中に石橋が架けられている。前面の砂利敷きは 「銀砂灘」 と称して、月明かりを楽しんだものと思われる。現在、国の名勝に指定されている。

本堂の横手の斜面に、五百羅漢の石像が並んでいる。五百羅漢尊者は釈迦如来の弟子で、仏典の編集護持に功績のあった方々である。この石像群は江戸中期の天明年間に彫造されたもので、作者は明らかでないが、稀に見る傑作だと賞せられている。
島崎藤村は、『桜の実の熟す時』 という小説の最後の場面で、この石像のことを語っている。要約して再現すると “興津の清見寺の、本堂の横に苔の蒸した石像があった。・・・誰かしら知った人に逢えるというその相貌を見て行くと、あそこに青木がいた、市川がいたと数えることができた。・・・”
実際、一体一体を見ていくと、それぞれが異なる顔付や表情であり、どこかで見たような顔ばかりが並んでいる。

池は、ひょうたんの形をしており、真中に石橋が架けられている。前面の砂利敷きは 「銀砂灘」 と称して、月明かりを楽しんだものと思われる。現在、国の名勝に指定されている。

本堂の横手の斜面に、五百羅漢の石像が並んでいる。五百羅漢尊者は釈迦如来の弟子で、仏典の編集護持に功績のあった方々である。この石像群は江戸中期の天明年間に彫造されたもので、作者は明らかでないが、稀に見る傑作だと賞せられている。
島崎藤村は、『桜の実の熟す時』 という小説の最後の場面で、この石像のことを語っている。要約して再現すると “興津の清見寺の、本堂の横に苔の蒸した石像があった。・・・誰かしら知った人に逢えるというその相貌を見て行くと、あそこに青木がいた、市川がいたと数えることができた。・・・”
実際、一体一体を見ていくと、それぞれが異なる顔付や表情であり、どこかで見たような顔ばかりが並んでいる。

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