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馬籠宿
馬籠宿は江戸から数えて43番目、木曽にある11宿の中では最も西にある宿場町である。天保14年 (1843) に作られた 「中山道宿村大概帳」 には、村民717人・家屋69棟、本陣1・脇本陣1・旅籠18軒が数えられたと記録されている。
馬籠峠へと向かう坂道に石畳が敷かれ、両側に家屋が建ち並んでいる。古い家並みが残されているが、現在はお土産屋や食事処となり観光地として繁栄している。かつては長野県木曽郡に属していたが、平成の大合併により岐阜県中津川市に編入されることとなった。

宿場の中ほどに島崎藤村の生家跡があり、現在は 「藤村記念館」 になっている。冠木門を入った正面の白壁に、「血のつながるふるさと 心のつながるふるさと 言葉のつながるふるさと」 との藤村の言葉が扁額となって架けられている。
近くに 「木曽五木」 の展示があった。木曽五木とは、ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ・サワラという5種類の針葉樹を指し、尾張藩が厳しく伐採を禁じたものである。江戸時代初期、城下町の造営や武家屋敷の建設が盛んだったために山が荒廃してしまった。そのことをきっかけに、宝永5年 (1708) に定められた掟である。この厳しい制度により守られたため、今でも木曽には美しい森林が残っている。

馬籠峠へと向かう坂道に石畳が敷かれ、両側に家屋が建ち並んでいる。古い家並みが残されているが、現在はお土産屋や食事処となり観光地として繁栄している。かつては長野県木曽郡に属していたが、平成の大合併により岐阜県中津川市に編入されることとなった。

宿場の中ほどに島崎藤村の生家跡があり、現在は 「藤村記念館」 になっている。冠木門を入った正面の白壁に、「血のつながるふるさと 心のつながるふるさと 言葉のつながるふるさと」 との藤村の言葉が扁額となって架けられている。
近くに 「木曽五木」 の展示があった。木曽五木とは、ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ・サワラという5種類の針葉樹を指し、尾張藩が厳しく伐採を禁じたものである。江戸時代初期、城下町の造営や武家屋敷の建設が盛んだったために山が荒廃してしまった。そのことをきっかけに、宝永5年 (1708) に定められた掟である。この厳しい制度により守られたため、今でも木曽には美しい森林が残っている。

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