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毘沙門天(香久山妙法寺)
田子の浦港の東、吉原宿と原宿の間に、個性的なお寺がある。「毘沙門天」、正式名称は 「妙法寺」 である。元々は、祈祷を行なう毘沙門堂と、仏事を行なう妙法寺という性格の異なる二つのお堂から成り立っているという。写真左が毘沙門堂で、右端のドーム屋根が妙法寺の錬成道場である。
沿革によれば、今から1200年ほど前、山伏たちが海抜0mの海岸から富士山に登るための “みそぎ” をした道場が起源だとある。寺領は広大で、3万坪 (10ha) を越える。戦国時代には、甲斐武田氏の東海道進出の砦となり、江戸時代には、徳川御三家紀伊公が長く逗留したこともあった。

お堂の中のご神体は拝見できなかったが、境内に石像が立てられていた。毘沙門天は多聞天とも呼び、須弥山中腹の四方の門を守る四天王 (持国天・増長天・広目天・多聞天) の一人である。四天王の信仰は飛鳥時代からあり、聖徳太子が四天王寺をつくったことは広く知られている。
階段を登って鳥居をくぐると、四方の屋根に龍の飾られた極彩色のお堂があって目を引きつけられる。中国様式で 「龍神香炉堂」 という。旧正月の3日間開催される 「毘沙門天大祭」 は、数十万人の参拝客で賑わうという。このとき、全国からたくさんのダルマ屋が集まることから、全国一の「だるま市」としても有名である。

沿革によれば、今から1200年ほど前、山伏たちが海抜0mの海岸から富士山に登るための “みそぎ” をした道場が起源だとある。寺領は広大で、3万坪 (10ha) を越える。戦国時代には、甲斐武田氏の東海道進出の砦となり、江戸時代には、徳川御三家紀伊公が長く逗留したこともあった。

お堂の中のご神体は拝見できなかったが、境内に石像が立てられていた。毘沙門天は多聞天とも呼び、須弥山中腹の四方の門を守る四天王 (持国天・増長天・広目天・多聞天) の一人である。四天王の信仰は飛鳥時代からあり、聖徳太子が四天王寺をつくったことは広く知られている。
階段を登って鳥居をくぐると、四方の屋根に龍の飾られた極彩色のお堂があって目を引きつけられる。中国様式で 「龍神香炉堂」 という。旧正月の3日間開催される 「毘沙門天大祭」 は、数十万人の参拝客で賑わうという。このとき、全国からたくさんのダルマ屋が集まることから、全国一の「だるま市」としても有名である。

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