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明治用水「旧頭首工」と「船通し」

                                        ≪ 平成26年10月21日の再掲≫
 矢作川下流域の碧海台地は水田に適さない洪積台地であり、長年、用水路による給水が悲願であった。明治13年に通水された明治用水は、台地を美田に変え、人々の豊かな生活を実現した。明治34年にはさらに頑丈な頭首工が完成した。下の絵図は、川幅いっぱいに堰堤が築かれ、右岸側から明治用水へと水を引く様子が描かれている。
 旧頭首工は、新しい頭首工が昭和33年にできた後の昭和41年、矢作川が一級河川になった際に取り壊された。しかし、左岸側の排砂門5門と船通し閘門は壊されずに残っている。コンクリートのない時代に服部長七考案の「人造石」でできており、貴重な土木施設として、平成19年に土木学会が選奨する土木遺産に認定された。

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 陸上交通が発達するまでは、矢作川は物資輸送の大動脈で、多くの川船が海産物、板類、薪炭などを運んでいた。また、木材は筏に組まれて送られていた。明治用水の取水が多い時期には、堰が締め切られるので、川の中央部に船通しが造られた。さらに、重い筏や力の弱い船は左岸の閘門を使って行き来した。閘門には上下に扉があり、松重閘門(平成25年3月13日の当ブログ参照)と同じように水位を調整しながら船を通したのである。現在も扉のための「ひじつぼ」が残されている。

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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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