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鶴舞公園菖蒲池
鶴舞 (つるま) 公園は、明治42年11月に開園し、翌43年3月から3か月間 「第10回関西府県連合共進会」 という一大イベントが開催された。この博覧会は、これをきっかけに名古屋が大いに発展したと言われるほど盛大なものであった。ちなみに入園者数は約260万人、当時の名古屋市の人口41万人と比較すると、その盛大さが理解できるであろう。
ただ、公園が現在のような形になったのは、それから10年ほどの整備工事の後である。イベントのパビリオンが撤去された後、西側部分は噴水塔と奏楽堂を残してシンメトリーなフランス式庭園が造成された。東側は一転して日本庭園となる。胡蝶が池に架かる鈴菜橋を渡ると 「菖蒲池」、さらに竜が池、八幡山古墳へと続くのである。

菖蒲池のハナショウブは、戦前からかなり有名であったという。戦時中は、食料供給のため芋や麦の畑になってしまった。戦後から修復を始め、昭和25年には北半分が復元でき、苗の購入も続けられた。昭和27年には中の島や八橋も完成し、ようやく今のような菖蒲池が完成したのである。
ハナショウブの最盛期は6月上旬、奏楽堂南に咲くバラとともに毎年多くの行楽客を迎えている。


ただ、公園が現在のような形になったのは、それから10年ほどの整備工事の後である。イベントのパビリオンが撤去された後、西側部分は噴水塔と奏楽堂を残してシンメトリーなフランス式庭園が造成された。東側は一転して日本庭園となる。胡蝶が池に架かる鈴菜橋を渡ると 「菖蒲池」、さらに竜が池、八幡山古墳へと続くのである。

菖蒲池のハナショウブは、戦前からかなり有名であったという。戦時中は、食料供給のため芋や麦の畑になってしまった。戦後から修復を始め、昭和25年には北半分が復元でき、苗の購入も続けられた。昭和27年には中の島や八橋も完成し、ようやく今のような菖蒲池が完成したのである。
ハナショウブの最盛期は6月上旬、奏楽堂南に咲くバラとともに毎年多くの行楽客を迎えている。


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