Entries
鯖街道・熊川宿
若狭の国・小浜から北川沿いの細長い平野を遡ると熊川に至る。この辺りからは山地となり、しばらく行って北へ向きを変え、朽木を経て京へ向かう。この道を 「鯖街道」 と呼ぶ。京都まで18里 (約72km) の行程である。
日本海に面する小浜は、古くから大陸文化の玄関口になっている。中国や朝鮮半島の高い文化がこの港に上陸し、街道を通って奈良や京へ運ばれたのである。東大寺二月堂で行なわれる 「お水取り」 行事は、小浜・神宮寺からの 「お水送り」 と結びついている。

若狭湾では、多種多様の海産物が獲れるが、18世紀後半からは大量のサバが水揚げされるようになった。サバは、京都の人々にとって大衆魚であり、いろいろな行事にも欠かせないものである。若狭湾から海産物の運ばれるこの道は、いつの頃からか 「鯖街道」 と呼ばれるようになった。
宿場町で、印象的な建物を見つけた。破風から窓枠、柱から板張りに至るまで、全て 「紅柄塗り」 された家が何軒かある。紅柄 (べんがら・弁柄とも書く) は、鉄分を含む防腐塗料である。「焼鯖」 を売る店の二階は防火のための 「塗込め窓」 になっている。街道の脇に清流の流れる用水があるが、これは何度も火災を経験した宿場町の防火のための知恵である。

日本海に面する小浜は、古くから大陸文化の玄関口になっている。中国や朝鮮半島の高い文化がこの港に上陸し、街道を通って奈良や京へ運ばれたのである。東大寺二月堂で行なわれる 「お水取り」 行事は、小浜・神宮寺からの 「お水送り」 と結びついている。

若狭湾では、多種多様の海産物が獲れるが、18世紀後半からは大量のサバが水揚げされるようになった。サバは、京都の人々にとって大衆魚であり、いろいろな行事にも欠かせないものである。若狭湾から海産物の運ばれるこの道は、いつの頃からか 「鯖街道」 と呼ばれるようになった。
宿場町で、印象的な建物を見つけた。破風から窓枠、柱から板張りに至るまで、全て 「紅柄塗り」 された家が何軒かある。紅柄 (べんがら・弁柄とも書く) は、鉄分を含む防腐塗料である。「焼鯖」 を売る店の二階は防火のための 「塗込め窓」 になっている。街道の脇に清流の流れる用水があるが、これは何度も火災を経験した宿場町の防火のための知恵である。

- 関連記事
-
- ふじおやま道の駅 (2016/09/15)
- 鯖街道・熊川宿 (2016/07/31)
- 中山道「落合宿」の石畳 (2016/06/26)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/300-c0eaee0b
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)