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鶴舞公園の青年団令旨碑壇
鶴舞公園に、「歴史散歩」 というコースがある。順路に沿って歩くと、100年を越える公園の歴史を知ることができる。スタートはJR中央線鶴舞駅近くのガード、鉄橋の梁に掲げられた 「公園名の扁額」 (陸軍大将桂太郎の揮毫) である。明治42年につくられた噴水塔や奏楽堂を巡って最終16番目に 「青年団令旨碑壇」 が陸上競技場の東端に建っている。
これは昭和5年に、青年団のスポーツ精神を高揚するために建てられたものである。“国運進展ノ基礎ハ青年ノ修錬ニ・・・” などと書かれているが、文字盤が破損していてよく読めない。よく見ると、名盤は粘土でできているようである。

これは、戦時中の金属回収により供出された結果で、その代用として焼き物が貼り付けられたものである。緑化センターの北側には普通選挙法の施行 (大正14年) を記念して建てられた 「普選壇」 がある。こちらも同じように金属回収されたが、昭和42年に青銅版として復元されている。
鶴舞公園のシンボルでもある噴水塔も例外ではなかった。頂上で水を噴出する水盤も青銅でできているという理由で供出させられてしまった。ようやく復元されたのは昭和52年、地下鉄工事が終わって、噴水が全面復旧されたときである。
今では「青年団令旨碑壇」のみが、戦争の傷跡を残しているといえる。

これは昭和5年に、青年団のスポーツ精神を高揚するために建てられたものである。“国運進展ノ基礎ハ青年ノ修錬ニ・・・” などと書かれているが、文字盤が破損していてよく読めない。よく見ると、名盤は粘土でできているようである。

これは、戦時中の金属回収により供出された結果で、その代用として焼き物が貼り付けられたものである。緑化センターの北側には普通選挙法の施行 (大正14年) を記念して建てられた 「普選壇」 がある。こちらも同じように金属回収されたが、昭和42年に青銅版として復元されている。
鶴舞公園のシンボルでもある噴水塔も例外ではなかった。頂上で水を噴出する水盤も青銅でできているという理由で供出させられてしまった。ようやく復元されたのは昭和52年、地下鉄工事が終わって、噴水が全面復旧されたときである。
今では「青年団令旨碑壇」のみが、戦争の傷跡を残しているといえる。

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