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桑名宿
≪再掲」2014・3・15≫
東海道本線や名神高速道路が名古屋から岐阜へ上がり、関が原を抜けて京都・大阪へ向かうので、このルートが“東海道”と思いがちであるが、元々の東海道はもっと南を通る道である。名古屋熱田湊(宮の宿)から渡し舟で桑名まで渡り(「七里の渡し」と言う)亀山を経由するルートであり、現在整備中の新名神高速道路がこれに近い。関が原は、旧中山道の通過点である。

桑名宿も熱田宿同様に、渡し舟を待つ旅人で賑わっていた。湊の西には舟番所や高札場が、南側には舟会所や人馬問屋などがあり、大名などが泊まる本陣もあった。しかし、昭和34年の伊勢湾台風により大被害を受け、港の外側に堤防が築かれたので、今では江戸時代と大きく異なる風景を見せている。
「宮の渡し」には熱田神宮の最初の鳥居が立っていたが、「桑名の湊」には伊勢神宮への第一の鳥居が立っている。江戸方面からはるばるお伊勢参りに来た旅人が、伊勢の国に到着して最初にくぐる鳥居である。20年ごとに行われる式年遷宮のおり、内宮・外宮古殿の棟持柱は、宇治橋前後の鳥居として再利用される。その時にそれまで立っていた鳥居は、今度は「関宿」と「桑名湊」に移設されて、東海道から伊勢へ向かうための最初の鳥居となるのである。

東海道本線や名神高速道路が名古屋から岐阜へ上がり、関が原を抜けて京都・大阪へ向かうので、このルートが“東海道”と思いがちであるが、元々の東海道はもっと南を通る道である。名古屋熱田湊(宮の宿)から渡し舟で桑名まで渡り(「七里の渡し」と言う)亀山を経由するルートであり、現在整備中の新名神高速道路がこれに近い。関が原は、旧中山道の通過点である。

桑名宿も熱田宿同様に、渡し舟を待つ旅人で賑わっていた。湊の西には舟番所や高札場が、南側には舟会所や人馬問屋などがあり、大名などが泊まる本陣もあった。しかし、昭和34年の伊勢湾台風により大被害を受け、港の外側に堤防が築かれたので、今では江戸時代と大きく異なる風景を見せている。
「宮の渡し」には熱田神宮の最初の鳥居が立っていたが、「桑名の湊」には伊勢神宮への第一の鳥居が立っている。江戸方面からはるばるお伊勢参りに来た旅人が、伊勢の国に到着して最初にくぐる鳥居である。20年ごとに行われる式年遷宮のおり、内宮・外宮古殿の棟持柱は、宇治橋前後の鳥居として再利用される。その時にそれまで立っていた鳥居は、今度は「関宿」と「桑名湊」に移設されて、東海道から伊勢へ向かうための最初の鳥居となるのである。

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