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諏訪大社の御柱
天下の大祭 「御柱祭」 は、7年に1度、申年と寅年に行なわれます。諏訪大社御宝殿を造営するお祭で、その四隅に御柱を建てるのです。その様子は、毎回テレビ放送などで見ることができますが、たいへんに豪快なもので、特に100mもの急斜面を坂落とす場面はスリルを感じます。事実、怪我をする人もあります。
左の写真は、上社本宮の 「一の柱」、右の写真は柱を立て起こすシーン(昭和61年朝日新聞社発行の 『週刊朝日百科日本の歴史』 からお借りしました) です。高さ5丈5尺 (約17m) 直径4尺 (1.2m) の樅 (モミ) の木です。山から切倒した後、御柱置場に集められ、そこから数千人の氏子の奉仕により20数kmを曳行されるのです。

このお祭は何時から始まったのでしょう。同じく 『朝日百科』 では、縄文時代から同様な巨木の祭があったと記されています。金沢市のチカモリ遺跡から発掘された柱痕からすると、約8トンもの大木が曳かれて建てられたと考えられるというのです。その様子が挿絵として掲げられています。
諏訪湖周辺を散策すると、あちこちに御柱を見ることができます。高島城内の護国神社にもありましたし、普通の住宅地の祠にも、その四隅に真新しい柱が立てられていました。諏訪の人たちは、7年に一度の御柱の年になると、先祖伝来の血が騒ぐのだと思います。

左の写真は、上社本宮の 「一の柱」、右の写真は柱を立て起こすシーン(昭和61年朝日新聞社発行の 『週刊朝日百科日本の歴史』 からお借りしました) です。高さ5丈5尺 (約17m) 直径4尺 (1.2m) の樅 (モミ) の木です。山から切倒した後、御柱置場に集められ、そこから数千人の氏子の奉仕により20数kmを曳行されるのです。

このお祭は何時から始まったのでしょう。同じく 『朝日百科』 では、縄文時代から同様な巨木の祭があったと記されています。金沢市のチカモリ遺跡から発掘された柱痕からすると、約8トンもの大木が曳かれて建てられたと考えられるというのです。その様子が挿絵として掲げられています。
諏訪湖周辺を散策すると、あちこちに御柱を見ることができます。高島城内の護国神社にもありましたし、普通の住宅地の祠にも、その四隅に真新しい柱が立てられていました。諏訪の人たちは、7年に一度の御柱の年になると、先祖伝来の血が騒ぐのだと思います。

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