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岩村城

 ブログの発信がずいぶんと間が空いてしまいました。12月に入って初めての更新です。実は私のパソコンが壊れてしまったのです。大量の写真やデータが取り出せなくなってしまいましたので、青ざめてしまいましたが、何とか直すことができました。また、気を取り直して発信してまいりますので、アクセスいただきますよろしくお願いいたします。

 岩村城の歴史は古く、鎌倉中期の文治元年 (1185) にまで遡るという。頼朝の重臣加藤氏 (後に遠山氏) が代々居城としてきたが、戦国時代に大きな波乱があった。この地は、甲斐の武田氏にとって上洛のためにはどうしても欲しい場所であり、尾張の織田家にとっても、信濃への道筋の拠点に当たる重要な地であった。
 女城主として名高い “岩村御前” は、織田信長の叔母に当たる女性だという。武田勢の大軍に包囲されながらよく耐えて戦ったが、ついに和議に応じて武田方に付いてしまった。時移って武田が長篠の合戦で大敗した後、岩村城は信長軍に包囲され、岩村御前も和議を許されずに滅ぼされてしまったという。

岩村城E

 岩村城は、日本百名城に選ばれ、また日本三大山城にも数えられている。本丸は、海抜717mもの高地にあり、一之門をくぐってからも更に急な階段や坂道を登ったところにある。右の写真はずっと下方にある太鼓櫓で、藩主の邸宅や藩校「知新館」の近くにある。
 知新館正門の横に綺麗に紅葉した樹形の美しい木があった。説明板によると、ウルシ科のトネリコバハゼノキという種類で、中国では「楷樹」といい孔子の墓所に植えられているという。日本には、湯島聖堂など儒学と特別な関係のあるところに分け与えられていて、この木は湯島聖堂から苗木を譲られたものだという。

岩村城F


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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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