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飛騨古川の瀬戸川と白壁土蔵街
高山市を過ぎ、富山に向かってさらに北上すると古川の町に至る。この町は戦国時代、秀吉の命を受けた金森氏が飛騨を統一して増島城を築いたのが始まりで、その城下町を基にしてできた町並みである。高山と同様に、飛騨の匠の手による伝統的な木造建築が軒を連ね、新しい建物も周囲との調和を考えて建てられていて、美しい町並みが保存されている。
町の真ん中を流れる 「瀬戸川」 は、約400年前に増島城の濠の水を利用して、新田開発のために掘られた用水である。まつり会館や匠文化館のあるまつり広場から東に向かって歩くと、美しい水の流れる水路と、平行して軒を並べる白壁土蔵の街を見ることができる

昔の瀬戸川は、野菜なども洗えるきれいな水流だったが、高度成長の時代に著しく汚れてしまった。しかし今は、町の人たちの活動により美しい水を取り戻している。昭和43年に放流された錦鯉が群れを成して泳ぐ風景は、古川の町のシンボルともなっている。
水路の所々に、水面まで下りることのできる階段が残っているが、これは洗い物のときに使ったなごりであろう。瀬戸川の南側、造り酒屋や和ろうそく店が軒を並べる本通りにも、幅の狭い水路が走っている。この美しい側溝も御影石で造られており、渡りのための石橋もこだわりの造形を見せている。

町の真ん中を流れる 「瀬戸川」 は、約400年前に増島城の濠の水を利用して、新田開発のために掘られた用水である。まつり会館や匠文化館のあるまつり広場から東に向かって歩くと、美しい水の流れる水路と、平行して軒を並べる白壁土蔵の街を見ることができる

昔の瀬戸川は、野菜なども洗えるきれいな水流だったが、高度成長の時代に著しく汚れてしまった。しかし今は、町の人たちの活動により美しい水を取り戻している。昭和43年に放流された錦鯉が群れを成して泳ぐ風景は、古川の町のシンボルともなっている。
水路の所々に、水面まで下りることのできる階段が残っているが、これは洗い物のときに使ったなごりであろう。瀬戸川の南側、造り酒屋や和ろうそく店が軒を並べる本通りにも、幅の狭い水路が走っている。この美しい側溝も御影石で造られており、渡りのための石橋もこだわりの造形を見せている。

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