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桑名城の「蟠龍櫓」
桑名城は、揖斐川が伊勢湾に流れ込む河口の近くにある。関ヶ原の戦い直後の慶長6年 (1601)、徳川四天王の一人・本多忠勝は伊勢桑名10万石に封ぜられ、この地に築城を始めた。城は慶長15年に完成したが、その7年後には松平氏が入城し、幕末までこの地を治めた。
桑名城は、その地形が扇に似ていることから 「扇城」 とも呼ばれていた。江戸時代には、桑名の読み “クワナ” を中国の美しい「九華扇」 と掛け合わせて、九華 (クハナ) と書いていた。城跡一帯は現在、公園として整備されており、「九華 (キュウカ) 公園」と命名されている。お堀と花菖蒲の美しい公園である。

歌川広重の浮世絵に見るように、桑名は渡し舟の湊として描かれている。帆舟の奥に描かれているのは城郭の南端、伊勢湾(当時は川でなく海であった) に突き出た「蟠龍櫓」 である。熱田湊から七里の海路を舟で渡ると最初に見えてくるのがこの櫓で、旅人にとっては印象的なシンボルであったのであろう。
写真の建物は、高潮警戒時に3つの水門を操作する水門統合管理所である。この位置が、かつての蟠龍櫓があった所であることから、絵図などの資料を参考に外観復元したものである。享和2年 (1802) の絵図では、単層入母屋づくりの屋根に 「蟠龍瓦」が描かれており、その姿も復元されている。「蟠龍」 とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍をいい、航海の守護神として設置されたものと考えられている。遠くに見えるのは、長良川の河口堰である。

桑名城は、その地形が扇に似ていることから 「扇城」 とも呼ばれていた。江戸時代には、桑名の読み “クワナ” を中国の美しい「九華扇」 と掛け合わせて、九華 (クハナ) と書いていた。城跡一帯は現在、公園として整備されており、「九華 (キュウカ) 公園」と命名されている。お堀と花菖蒲の美しい公園である。

歌川広重の浮世絵に見るように、桑名は渡し舟の湊として描かれている。帆舟の奥に描かれているのは城郭の南端、伊勢湾(当時は川でなく海であった) に突き出た「蟠龍櫓」 である。熱田湊から七里の海路を舟で渡ると最初に見えてくるのがこの櫓で、旅人にとっては印象的なシンボルであったのであろう。
写真の建物は、高潮警戒時に3つの水門を操作する水門統合管理所である。この位置が、かつての蟠龍櫓があった所であることから、絵図などの資料を参考に外観復元したものである。享和2年 (1802) の絵図では、単層入母屋づくりの屋根に 「蟠龍瓦」が描かれており、その姿も復元されている。「蟠龍」 とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍をいい、航海の守護神として設置されたものと考えられている。遠くに見えるのは、長良川の河口堰である。

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