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亀山城と城下町
伊勢亀山では文永2年 (1265) に関氏により城が築かれたが、元亀4年 (1573) に織田信長により追放されてしまった。新たに築城されたのは天正18年 (1590) に岡本氏が入城したときで、本丸・二之丸・三之丸をつくり、天守閣も建てられたと 『九九五集』 に記録されている。
その後、城主は8家がめまぐるしく入れ替わったが、石川氏が城主となって以降は安定し、11代で明治を迎えるまで変ることがなかった。しかし、明治6年の廃城令によりほとんどの建造物は取り壊され、現在は多門櫓と石垣・土塁・堀の一部が残されているにすぎない。

多門櫓 (上の写真) は、原位置のまま遺存する県下唯一の城郭建築で、昭和28年に三重県の文化財に指定されている。高さのある見事な石垣は天然石の野面積みで、400年を経た今日でもしっかりと櫓を支えている。
亀山6万石の城下町は、東海道の宿場町でもある。江戸時代は繁栄を極めたが、明治になって鉄道が開通し、さらに亀山駅が500m以上も離れてできたこともあって、その賑わいは衰退した。しかし、お城周辺の旧東海道沿いには、往古を偲ばせる旧跡も多く、昔の趣を色濃く漂わせている。
市では平成20年より、「歴史まちづくり法」 に則った 「歴史的風致維持向上計画」 を策定して、一体的な保存整備に取り組んでいる。

その後、城主は8家がめまぐるしく入れ替わったが、石川氏が城主となって以降は安定し、11代で明治を迎えるまで変ることがなかった。しかし、明治6年の廃城令によりほとんどの建造物は取り壊され、現在は多門櫓と石垣・土塁・堀の一部が残されているにすぎない。

多門櫓 (上の写真) は、原位置のまま遺存する県下唯一の城郭建築で、昭和28年に三重県の文化財に指定されている。高さのある見事な石垣は天然石の野面積みで、400年を経た今日でもしっかりと櫓を支えている。
亀山6万石の城下町は、東海道の宿場町でもある。江戸時代は繁栄を極めたが、明治になって鉄道が開通し、さらに亀山駅が500m以上も離れてできたこともあって、その賑わいは衰退した。しかし、お城周辺の旧東海道沿いには、往古を偲ばせる旧跡も多く、昔の趣を色濃く漂わせている。
市では平成20年より、「歴史まちづくり法」 に則った 「歴史的風致維持向上計画」 を策定して、一体的な保存整備に取り組んでいる。

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