Entries
関宿の地蔵院
関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ 「鈴鹿関」 が置かれていた。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場として、参勤交代や伊勢参りの旅人で賑わいを見せていた。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、数少ない町並みを残す町として、昭和59年に 「重要伝統的建造物群保存地区」 に指定されている。
宿場の東西の端に追分がある。東の追分は、名古屋方面に向かう東海道と伊勢へと至る伊勢別街道との分岐点である。西の追分は、京への道と伊賀から奈良へと向かう大和街道との分かれ道である。関宿の町並みが続く長さは約1.8km、江戸から明治にかけて建てられた古い町家が200軒近くも残されている。

宿場の中心に地蔵院がある。このお寺の歴史は古く、天平13年 (741) に遡るという。奈良東大寺の僧・行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この地に地蔵菩薩を安置したと伝えられている。日本最古の地蔵菩薩である。
本堂は寄せ棟づくりの瓦葺。柱や梁、破風などを朱に塗られた鐘楼が印象的である。いずれも国の重要文化財に指定されている。境内を囲う土塀を内側から見ると、柱間ごとに窓が開いていて、中にそれぞれお地蔵様が座っている。“関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ” と俗謡にも謡われたほど、人々に親しまれてきた寺院である。

宿場の東西の端に追分がある。東の追分は、名古屋方面に向かう東海道と伊勢へと至る伊勢別街道との分岐点である。西の追分は、京への道と伊賀から奈良へと向かう大和街道との分かれ道である。関宿の町並みが続く長さは約1.8km、江戸から明治にかけて建てられた古い町家が200軒近くも残されている。

宿場の中心に地蔵院がある。このお寺の歴史は古く、天平13年 (741) に遡るという。奈良東大寺の僧・行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この地に地蔵菩薩を安置したと伝えられている。日本最古の地蔵菩薩である。
本堂は寄せ棟づくりの瓦葺。柱や梁、破風などを朱に塗られた鐘楼が印象的である。いずれも国の重要文化財に指定されている。境内を囲う土塀を内側から見ると、柱間ごとに窓が開いていて、中にそれぞれお地蔵様が座っている。“関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ” と俗謡にも謡われたほど、人々に親しまれてきた寺院である。

- 関連記事
-
- 関宿の塗籠 (2017/05/03)
- 関宿の地蔵院 (2017/04/30)
- 亀山城と城下町 (2017/04/23)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/363-bbc0d8bd
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)