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納屋橋
江戸時代、堀川には7本の橋が架かっていた。北から五条橋・中橋・伝馬橋・納屋橋・日置橋・古渡橋・新橋である(尾府名古屋図=蓬左文庫蔵参照)。納屋橋は上からも下からも真ん中の4番目にあり、最初は慶長15年 (1610) の清洲越しのときに造られたものである。名古屋の城下町は、豊臣方に対する戦略都市として誕生したが、同時に碁盤割の町を中心とした経済の町でもあった。
広小路はその中心的存在で、納屋橋は多くの人たちが通行する重要な橋であった (現在でも同じ)。元は、「尾張名陽図会」 に見るような木橋であったので、度々架け替えられている。正保4年 (1647) に改築、元禄13年 (1700) の大火には延焼を免れたが、寛保3年 (1743) に改修されている。明治19年の広小路拡幅改修の時には橋幅を拡張して整備された。

その後、濃尾震災の被害を受けて、翌年の明治25年 (1892) に改築、明治43年 (1910=鶴舞公園の開園と同時期) には、当時としては新式の鉄石混用の洋風な橋に改築された。当時の費用で10万円という巨費を投じ、4年という工期を要して大正2年に開通したという。
橋の形式は上路アーチ式、側面から見ると小さなアーチが連なっていて美しい姿形である。石造りの親柱、鋳鉄製の欄干や照明塔も優美なデザインである。欄干の模様に堀川開削総奉行であった福島正則や信長・秀吉・家康3英傑の紋所が飾られているのも面白い。
橋の中央に半円形のデッキがあって、通行の人が堀川の上流を眺めていた。

広小路はその中心的存在で、納屋橋は多くの人たちが通行する重要な橋であった (現在でも同じ)。元は、「尾張名陽図会」 に見るような木橋であったので、度々架け替えられている。正保4年 (1647) に改築、元禄13年 (1700) の大火には延焼を免れたが、寛保3年 (1743) に改修されている。明治19年の広小路拡幅改修の時には橋幅を拡張して整備された。

その後、濃尾震災の被害を受けて、翌年の明治25年 (1892) に改築、明治43年 (1910=鶴舞公園の開園と同時期) には、当時としては新式の鉄石混用の洋風な橋に改築された。当時の費用で10万円という巨費を投じ、4年という工期を要して大正2年に開通したという。
橋の形式は上路アーチ式、側面から見ると小さなアーチが連なっていて美しい姿形である。石造りの親柱、鋳鉄製の欄干や照明塔も優美なデザインである。欄干の模様に堀川開削総奉行であった福島正則や信長・秀吉・家康3英傑の紋所が飾られているのも面白い。
橋の中央に半円形のデッキがあって、通行の人が堀川の上流を眺めていた。

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