Entries
長良川の美濃橋
長良川は、飛騨山脈・標高2500mの大日岳に端を発し、郡上・美濃・関・岐阜を流れ、揖斐川・木曽川と合わさって伊勢湾に注ぐ大河川である。延長166km・流域面積は約2000平方kmと広大である。因みに、木曽川は229km・5300平方km、揖斐川は121km・1840平方kmである。
美濃の町は、関が原の合戦でも活躍した高山城主・金森氏が整備した。郡上街道や牧谷街道、長良川水運の上有知湊もある交通の要所である。美濃街道から対岸へ渡り、板取川をさかのぼる牧谷街道へ進むには、前野の渡し舟が頼りであった。ここに長大な吊橋が完成したのは大正5年 (1916) のことである。

左岸にある城山「小倉山」から飛び出した岩盤の上に鉄筋コンクリートの主塔を立てた、橋長113m・幅員3.1mの単径間補剛吊橋である。橋桁を、鉄骨トラスで補剛し、橋面は太い丸太の上の板張りである。昭和40年ごろまでは、小型の乗合いバスも行き来していたが、老朽化が激しくなったので、現在は自転車や歩行者専用になっている。
完成後100年を越えるこの美濃橋は、現存する最古の近代吊橋として平成15年に国の重要文化財に指定された。ちょうどその年に創設された国の大規模修繕の制度にのって、翌年から美濃橋修復の事業が始められた。特に右岸のケーブルの根元が劣化していたので、現代技術を駆使して、アンカレイジ削孔で補強する工事を行なった。アンカレイジとは、釣り橋の主ケーブルを支える重要な基礎のことである。


美濃の町は、関が原の合戦でも活躍した高山城主・金森氏が整備した。郡上街道や牧谷街道、長良川水運の上有知湊もある交通の要所である。美濃街道から対岸へ渡り、板取川をさかのぼる牧谷街道へ進むには、前野の渡し舟が頼りであった。ここに長大な吊橋が完成したのは大正5年 (1916) のことである。

左岸にある城山「小倉山」から飛び出した岩盤の上に鉄筋コンクリートの主塔を立てた、橋長113m・幅員3.1mの単径間補剛吊橋である。橋桁を、鉄骨トラスで補剛し、橋面は太い丸太の上の板張りである。昭和40年ごろまでは、小型の乗合いバスも行き来していたが、老朽化が激しくなったので、現在は自転車や歩行者専用になっている。
完成後100年を越えるこの美濃橋は、現存する最古の近代吊橋として平成15年に国の重要文化財に指定された。ちょうどその年に創設された国の大規模修繕の制度にのって、翌年から美濃橋修復の事業が始められた。特に右岸のケーブルの根元が劣化していたので、現代技術を駆使して、アンカレイジ削孔で補強する工事を行なった。アンカレイジとは、釣り橋の主ケーブルを支える重要な基礎のことである。


- 関連記事
-
- 天白川の橋 その14 (2017/10/02)
- 長良川の美濃橋 (2017/09/19)
- 天白川の橋 その13 (2017/09/15)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/390-8994fc42
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)