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上有知湊と曽代用水
高山城主・金森長近は、慶長6年 (1601) に小倉山城を築き、城下町 「上有知 (こうづち)」 をつくった。その繁栄策として、上有知湊を開き、40艘の舟を置いて水運の拠点とした。この湊は、美濃国・四大川湊として栄え、明治末年に電車が開通するまでは物流の要点であった。
現在も、川面まで降りる玉石の階段が残っており、石積みの上には灯台が古の面影を守っている。この灯台は、水の守護神・住吉神社の献灯を兼ねていて「住吉灯台」と呼ばれている。江戸末期に建てられたもので、川湊に現存する灯台として全国的にも珍しい貴重な建造物である。

上有知湊と小倉山の間に、綺麗な水の 「曽代 (そだい) 用水」 が流れている。江戸時代初期に移住してきた尾張藩出身の喜田氏・林氏と地元の豪農柴山氏が農業の発展を願い、私財すべてを費やして建造したものである。長良川から取水し、美濃から関に至る延長17km、農地約1000haをうるおす農業用水である。建設から350年に亘って地域農業を支え、今なお重要な施設として維持管理されていることや、江戸時代に農民主導で建設されたことが評価されて、平成27年に 「世界かんがい施設遺産」 に指定された。
このあたりの清流長良川では、子供たちの水遊びが盛んであるが、その反面、痛ましい水の犠牲者も多かった。湊近くには 「川端地蔵」 が立っていて、水難者の霊を慰めるとともに、二度と不幸な事故が起きないようにとの願いをこめて佇んでいる。

現在も、川面まで降りる玉石の階段が残っており、石積みの上には灯台が古の面影を守っている。この灯台は、水の守護神・住吉神社の献灯を兼ねていて「住吉灯台」と呼ばれている。江戸末期に建てられたもので、川湊に現存する灯台として全国的にも珍しい貴重な建造物である。

上有知湊と小倉山の間に、綺麗な水の 「曽代 (そだい) 用水」 が流れている。江戸時代初期に移住してきた尾張藩出身の喜田氏・林氏と地元の豪農柴山氏が農業の発展を願い、私財すべてを費やして建造したものである。長良川から取水し、美濃から関に至る延長17km、農地約1000haをうるおす農業用水である。建設から350年に亘って地域農業を支え、今なお重要な施設として維持管理されていることや、江戸時代に農民主導で建設されたことが評価されて、平成27年に 「世界かんがい施設遺産」 に指定された。
このあたりの清流長良川では、子供たちの水遊びが盛んであるが、その反面、痛ましい水の犠牲者も多かった。湊近くには 「川端地蔵」 が立っていて、水難者の霊を慰めるとともに、二度と不幸な事故が起きないようにとの願いをこめて佇んでいる。

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