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道三塚と信長廟
司馬遼太郎の 「国盗り物語」 は、戦国時代に一介の油売りから身を起こし、美濃国の城主になった斉藤道三と、尾張の国に生まれ、破天荒な政略・軍略でとうとう天下を取った織田信長とを主人公にした歴史小説である。1973年に、NHKの大河ドラマとしても放映された。
岐阜市中心部から長良川を渡ると、金華山の山並みから一転して、平らな平野が広がる。長良川の右岸堤防から眺めると、野球場や競技場のあるメモリアルセンターや、ユニークなドーム型の国際会議場などを見ることができる。その北側の旧田園地帯に、悲劇の英雄二人の墓所、「道三塚」と「信長廟」が、奇しくも所を近くして並んでいる。

道三は娘を信長に嫁がせて、信長と会見した折に彼の能力を見抜き “我が子たちは、あのうつけの門前に馬をつなぐことになる” と語ったという。その後、嫡子・斉藤義龍と折り合い悪くなり、弘治2年 (1556) 長良川の戦いで命を落とすこととなる。遺体は斉藤家の菩提寺住職の手で、この地に埋葬されたものである。
信長の廟は織田家菩提所崇福寺に 「織田信長公父子廟」 として設置されている。親子は天正10年 (1582) に、本能寺において明智光秀に討たれた。側室であった小倉なべが、信長の遺品を集めてこの寺に葬ったと伝えられている。参道から寺の正面前を左に折れ、枯山水の庭を過ぎて本堂裏側へ回ったところに、静かに墓碑は佇んでいる。

岐阜市中心部から長良川を渡ると、金華山の山並みから一転して、平らな平野が広がる。長良川の右岸堤防から眺めると、野球場や競技場のあるメモリアルセンターや、ユニークなドーム型の国際会議場などを見ることができる。その北側の旧田園地帯に、悲劇の英雄二人の墓所、「道三塚」と「信長廟」が、奇しくも所を近くして並んでいる。

道三は娘を信長に嫁がせて、信長と会見した折に彼の能力を見抜き “我が子たちは、あのうつけの門前に馬をつなぐことになる” と語ったという。その後、嫡子・斉藤義龍と折り合い悪くなり、弘治2年 (1556) 長良川の戦いで命を落とすこととなる。遺体は斉藤家の菩提寺住職の手で、この地に埋葬されたものである。
信長の廟は織田家菩提所崇福寺に 「織田信長公父子廟」 として設置されている。親子は天正10年 (1582) に、本能寺において明智光秀に討たれた。側室であった小倉なべが、信長の遺品を集めてこの寺に葬ったと伝えられている。参道から寺の正面前を左に折れ、枯山水の庭を過ぎて本堂裏側へ回ったところに、静かに墓碑は佇んでいる。

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