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長良川改修と陸閘
長良川は昭和初期まで、長良橋下流付近で古川・古々川とともに3筋に分かれていた。大雨になると長良川右岸のこの地域に洪水が押し寄せ、家や田畑を荒らすこと度々であった。そこで、古川・古々川を締め切り、長良川一本にする計画が立てられた。
工事は昭和8年から始められた。長良橋から下流5.6kmの右岸堤防を平均100m北側に移して築造し、河川幅を広げて水を流れやすくした。幅の広い河川敷には、運動場などが整備されて市民の憩いの場になっている。廃止した両河川の跡には水路を造り、排水機によって鳥羽川の方へ流すこととなっている。

安全になったこの地域は、広大な敷地を利用した区画整理により、住みやすい住宅地や学園街として蘇った。シンボリックな国際会議場や、デザインの良い高層ホテルなども設置されている。堤防の一角には、この改修工事の概要を記した看板や、石造りの記念碑が立てられている。
長良橋上流も昔から洪水には悩まされているようで、右岸堤防沿いに防護のための施設が作られている。家々の河川側には、堤防よりさらに高い玉石積みが延々と整備されている。取り付け道路や家の出入口など玉石積みの切れ目には、「陸閘」 と呼ばれる頑丈な鉄板の扉が設置されている。

工事は昭和8年から始められた。長良橋から下流5.6kmの右岸堤防を平均100m北側に移して築造し、河川幅を広げて水を流れやすくした。幅の広い河川敷には、運動場などが整備されて市民の憩いの場になっている。廃止した両河川の跡には水路を造り、排水機によって鳥羽川の方へ流すこととなっている。

安全になったこの地域は、広大な敷地を利用した区画整理により、住みやすい住宅地や学園街として蘇った。シンボリックな国際会議場や、デザインの良い高層ホテルなども設置されている。堤防の一角には、この改修工事の概要を記した看板や、石造りの記念碑が立てられている。
長良橋上流も昔から洪水には悩まされているようで、右岸堤防沿いに防護のための施設が作られている。家々の河川側には、堤防よりさらに高い玉石積みが延々と整備されている。取り付け道路や家の出入口など玉石積みの切れ目には、「陸閘」 と呼ばれる頑丈な鉄板の扉が設置されている。

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