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川原町の鵜飼舟と屋根神様
鵜飼といえば長良川の岐阜か、木曽川の犬山が有名である。ここでは、1300年前から行なわれている古い漁法だという。織田信長も鵜飼を好み、「鵜匠」 という名を付けたのは信長だという説もある。江戸時代には尾張徳川家も、将軍家に鮎を献上するために保護していたという。松尾芭蕉は “おもしろうてやがて悲しき鵜飼かな” という有名な句を残しており、チャップリンも2度に亘ってここを訪れ、“ワンダフル” を連発したという。
川原町の湊に、屋形船が並んでいる。鵜匠は、かがり火を焚いた鵜舟に乗り、10~12羽の鵜を見事な手さばきで操って鮎を捕らえる。観光客は屋形船に乗り込んで、鵜舟に並走する形で追いかけ、その幻想的な絵巻を見ることができる。長良川温泉街の一角に 「鵜匠の家」 がある。その玄関近くには 「鵜小屋」 があり、板塀には古くなった 「船べり」 が貼り付けてあった。

格子戸のある古い町屋を見て回るうちに、通りに面する屋根の上に祠が祀ってあるのを見つけた (下左側の写真)。これは、「屋根神様」 と親しげに呼ばれており、名古屋の西区などでもよく見られるものである (下右側は西区四間道での写真)。秋葉神社・津島神社・伊勢神宮などが祀られているが、3つ合わせて祀るところもある。近隣など狭い範囲の人々の神社であることが多い。
各種の解説によると、地上に置く土地が得られないために屋根に上げたのだろうと説明されているが、私は、洪水時に水害に遭わないよう高所に置いているのではないかと睨んでいる。この川原町も水害が多かったと思われるし、名古屋の西区のものは、清洲越しにより、水害の多かった清洲の町屋がそのままの伝統を持ち込んだと言えば説明しやすい。この私の仮説は、一度きちんと調べてみたいと思っている。

川原町の湊に、屋形船が並んでいる。鵜匠は、かがり火を焚いた鵜舟に乗り、10~12羽の鵜を見事な手さばきで操って鮎を捕らえる。観光客は屋形船に乗り込んで、鵜舟に並走する形で追いかけ、その幻想的な絵巻を見ることができる。長良川温泉街の一角に 「鵜匠の家」 がある。その玄関近くには 「鵜小屋」 があり、板塀には古くなった 「船べり」 が貼り付けてあった。

格子戸のある古い町屋を見て回るうちに、通りに面する屋根の上に祠が祀ってあるのを見つけた (下左側の写真)。これは、「屋根神様」 と親しげに呼ばれており、名古屋の西区などでもよく見られるものである (下右側は西区四間道での写真)。秋葉神社・津島神社・伊勢神宮などが祀られているが、3つ合わせて祀るところもある。近隣など狭い範囲の人々の神社であることが多い。
各種の解説によると、地上に置く土地が得られないために屋根に上げたのだろうと説明されているが、私は、洪水時に水害に遭わないよう高所に置いているのではないかと睨んでいる。この川原町も水害が多かったと思われるし、名古屋の西区のものは、清洲越しにより、水害の多かった清洲の町屋がそのままの伝統を持ち込んだと言えば説明しやすい。この私の仮説は、一度きちんと調べてみたいと思っている。

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