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龍潭寺の庭園
龍潭寺の歴史は古く、寺伝によれば奈良時代に行基が開創したとある。宗派は禅宗、臨済宗・妙心寺派に属する。平安時代には、井伊家の元祖・共保が生まれ、この地を治めた。また、南北朝時代には、後醍醐天皇の皇子・宗良親王がこの地を拠点として、北朝方・足利氏と対峙していた。龍潭寺は、宗良親王および井伊家の菩提寺となっている。
本堂の北側に、小堀遠州の作といわれる庭園がある。縁側、雨落の砂利、芝生があって、池、石組みと刈り込み、そして後背の樹林へと続く禅の庭である。季節によって、春はサツキが咲き、秋にはドウダンツツジやカエデの紅葉が彩りを添える、石と花の名園である。次の写真は、庫裏の北側に突き出した書院から見た景色である。遠近法を巧みに用い、手前に石を多く見せ、遠方には刈り込みを多く使っている。視線の先は、井伊家1000年40代の位牌を祀る御霊屋の方形屋根で終わっている。

池は 「心」 の形をした 「心字池」 になっている。庭の中心にある小山には、大きな立ち石と二つの脇石からなる守護石が据えてある (下中央の写真)。池の手前にひとつだけある平らな石は、その上で座禅を組む 「座禅石」 で「礼拝石」ともいう。
向かって左側は松の木をあしらった 「鶴」 の石組みであり (左の写真)、右側の石組みは 「亀」 を模している (右の写真)。庭の両端には守護石を守るための大きな立ち石があり、「仁王石」 と呼ばれている。
小堀遠州は近江・長浜の出で、「遠州流」 の茶道を興した戦国から江戸時代初期にかけての文化人である。京都二条城の二の丸庭園を造るなど作庭者としても力量を発揮した。龍潭寺庭園は、国の名勝に指定されている。

本堂の北側に、小堀遠州の作といわれる庭園がある。縁側、雨落の砂利、芝生があって、池、石組みと刈り込み、そして後背の樹林へと続く禅の庭である。季節によって、春はサツキが咲き、秋にはドウダンツツジやカエデの紅葉が彩りを添える、石と花の名園である。次の写真は、庫裏の北側に突き出した書院から見た景色である。遠近法を巧みに用い、手前に石を多く見せ、遠方には刈り込みを多く使っている。視線の先は、井伊家1000年40代の位牌を祀る御霊屋の方形屋根で終わっている。

池は 「心」 の形をした 「心字池」 になっている。庭の中心にある小山には、大きな立ち石と二つの脇石からなる守護石が据えてある (下中央の写真)。池の手前にひとつだけある平らな石は、その上で座禅を組む 「座禅石」 で「礼拝石」ともいう。
向かって左側は松の木をあしらった 「鶴」 の石組みであり (左の写真)、右側の石組みは 「亀」 を模している (右の写真)。庭の両端には守護石を守るための大きな立ち石があり、「仁王石」 と呼ばれている。
小堀遠州は近江・長浜の出で、「遠州流」 の茶道を興した戦国から江戸時代初期にかけての文化人である。京都二条城の二の丸庭園を造るなど作庭者としても力量を発揮した。龍潭寺庭園は、国の名勝に指定されている。

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