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天竜川の鹿島橋
井伊谷から20kmほど東、秋葉街道 (国道152号) が天竜川を渡るところに架けられている。昭和12年 (1937) に完成したモダンなトラス橋である。全長216m、幅員6m、「上曲弦カンチレバートラス橋」 という形式であり、戦前につくられた橋で現存するものとしては最大スパン (102m) である。橋名の鹿島 (かじま) とは、天竜市 (現浜松市天竜区) の旧名である。
江戸の昔から、浜松から鹿島を経て秋葉山方面へ向かうには、どうしてもこの地で天竜川を渡らなければならず、当時は渡船に頼らざるを得なかった。しかし増水時には船が出せないことも度々あり、住民や旅人は不便を強いられてきた。明治38年になって簡易な吊橋を架ける計画があったが、完成目前に洪水で流されてしまった。今度は本格的な吊橋をと、明治42年に着工し2年後に完成した。このときは 「天竜橋」 という名で、有料であったという。

その後、昭和になって天竜橋が無料になると、交通量はたいへん多くなった。しかし、吊橋であったので大型車両の通行は不可能である。そこで、新たな鉄骨による橋が計画され、昭和10年着工し昭和12年に完成したのがこの 「鹿島橋」 である。現在は、土木学会が選奨する土木遺産に指定されている。
国道のすぐ上流に、天龍浜名湖鉄道が走っている。この鉄道橋も歴史が古く、昭和15年に造られている。鋼製3連のトラス橋と鋼製7連の桁橋の組み合わせで、全長403mである。この鉄道としては、唯一のトラス橋であり、最も長い橋となっている。白い岩肌を見せる天竜川に、青色と緑色の橋梁が並んで、綺麗な風景を見せている。

◆これで今年のブログは終わりです。一覧表を作ってみましたら、これまでに365回になることが分かりました。平成25年2月から始めましたので、5年間、5日に1回のペースで発信してきたことになります。
◆各地を訪ね歩くと、人々に親しまれ利用され続けている 「土木文化」 が、まだまだいくらでもあることが分かります。来年も引き続き、歩き、写真を撮り、文章を書き、マップを作ってまいりたいと思います。多くの皆様のアクセスをよろしくお願い致します。
江戸の昔から、浜松から鹿島を経て秋葉山方面へ向かうには、どうしてもこの地で天竜川を渡らなければならず、当時は渡船に頼らざるを得なかった。しかし増水時には船が出せないことも度々あり、住民や旅人は不便を強いられてきた。明治38年になって簡易な吊橋を架ける計画があったが、完成目前に洪水で流されてしまった。今度は本格的な吊橋をと、明治42年に着工し2年後に完成した。このときは 「天竜橋」 という名で、有料であったという。

その後、昭和になって天竜橋が無料になると、交通量はたいへん多くなった。しかし、吊橋であったので大型車両の通行は不可能である。そこで、新たな鉄骨による橋が計画され、昭和10年着工し昭和12年に完成したのがこの 「鹿島橋」 である。現在は、土木学会が選奨する土木遺産に指定されている。
国道のすぐ上流に、天龍浜名湖鉄道が走っている。この鉄道橋も歴史が古く、昭和15年に造られている。鋼製3連のトラス橋と鋼製7連の桁橋の組み合わせで、全長403mである。この鉄道としては、唯一のトラス橋であり、最も長い橋となっている。白い岩肌を見せる天竜川に、青色と緑色の橋梁が並んで、綺麗な風景を見せている。

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