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多治見の虎渓山・永保寺
土岐川が大きくSの字に曲がる右岸、こんもりとした森の中に永保寺が佇んでいる。この地は、領主・土岐氏の山荘であり、鎌倉時代末期には泉石が構えられていたという。現在のような庭園が造られたのは、正和2年 (1313) 夢窓国師が入寺してからのことである。土岐氏の帰依を得て、この山荘を寺にしたのである。
大きな池に太鼓橋 (無際橋) を架け、渡り切った北側に 「観音閣」 を建立した。太鼓橋の真ん中には、桧皮葺の屋根をもつ 「亭」 があり、庭園の眺めを引き締めている。観音閣は正和3年建設のまま残されており、現在は国宝に指定されている。桧皮葺屋根の4隅の先端が大きく反り返っており、中国の寺院の特色をもっている。

観音閣の西側には、小山のような大きな岩があり、「梵音巌」 と名付けられている。岩山の頂上には、「霊擁」 と呼ぶ六角形の小堂が建てられていて、その横から細流れが滝のように落ちている。円錐形の岩山は、そっくりそのままに池に姿を映しており、小さいけれど逆さ富士のような趣を呈している。
向かって右側には、本堂、庫裏が並んでいる。庫裏の前に大きなイチョウの木が聳えている。高さ25m、幹周り4m、葉張り20mという大木で創建当時に植えられたということから、約700年以上の樹齢をもつものと思われる。平成15年に本堂と庫裏は火災により全焼してしまったが、このイチョウは被害を受けることがなかった。庭園全体は名勝に指定されている。

大きな池に太鼓橋 (無際橋) を架け、渡り切った北側に 「観音閣」 を建立した。太鼓橋の真ん中には、桧皮葺の屋根をもつ 「亭」 があり、庭園の眺めを引き締めている。観音閣は正和3年建設のまま残されており、現在は国宝に指定されている。桧皮葺屋根の4隅の先端が大きく反り返っており、中国の寺院の特色をもっている。

観音閣の西側には、小山のような大きな岩があり、「梵音巌」 と名付けられている。岩山の頂上には、「霊擁」 と呼ぶ六角形の小堂が建てられていて、その横から細流れが滝のように落ちている。円錐形の岩山は、そっくりそのままに池に姿を映しており、小さいけれど逆さ富士のような趣を呈している。
向かって右側には、本堂、庫裏が並んでいる。庫裏の前に大きなイチョウの木が聳えている。高さ25m、幹周り4m、葉張り20mという大木で創建当時に植えられたということから、約700年以上の樹齢をもつものと思われる。平成15年に本堂と庫裏は火災により全焼してしまったが、このイチョウは被害を受けることがなかった。庭園全体は名勝に指定されている。

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コメント
[C17] kokeizann
- 2018-07-25 08:49
- 編集
[C16]
国宝観音堂は、床が板張りになっていたり、軒裏が垂木を使わない板軒仕上げになっていたりと、随所に和風の建築様式が採用されています。それがまた、中国風に強く反った屋根とうまく調和していて、700年前の匠の技の見事さに感動しました。
もう1つの国宝建築、開山堂は純粋な唐様で建てられていますが、こちらも素晴らしい建築ですのでお見逃し無く!
観音堂、開山堂とも、普段は外観しか見られませんが、年に一度、3月半ばの涅槃会の日には無料で堂内を拝観することができます。
焼失した本堂や庫裏も木造で元通り再建されました。
もう1つの国宝建築、開山堂は純粋な唐様で建てられていますが、こちらも素晴らしい建築ですのでお見逃し無く!
観音堂、開山堂とも、普段は外観しか見られませんが、年に一度、3月半ばの涅槃会の日には無料で堂内を拝観することができます。
焼失した本堂や庫裏も木造で元通り再建されました。
- 2018-07-21 09:32
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> 観音堂、開山堂とも、普段は外観しか見られませんが、年に一度、3月半ばの涅槃会の日には無料で堂内を拝観することができます。
> 焼失した本堂や庫裏も木造で元通り再建されました。