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人道の丘公園「杉原千畝記念館」
丸山ダムの北、国道418号線がトンネルでくぐる山の上に 「人道の丘公園」 がある。「人道」 と名付けられたのは、「命のビザ」 で知られる外交官・杉原千畝を記念して作られた公園だからである。公園は、「杉原千畝記念館」 といくつかの広場から成っている。
広場の中央には、平和を奏でるという意味で、パイプオルガンをイメージしたモニュメントがつくられている。長短160本のステンレスパイプと浅い池、同心円状の段差のある広場となっている。開園は平成4年 (1992) のことであった。

道路を挟んだ北側に、ユニークなデザインの記念館が建てられている。玄関入口上部に嵌め込まれた、45度に傾いた格子の枠組みが印象的である。展示室内部は6つのコーナーとデッキ状の2階とで構成されており、観て歩く間にホロコーストとは何か、千畝はなぜビザを発給したのか、助けられたユダヤの人たちの足跡 (そくせき) などが理解できるようになっている。
ガラスケースの中に実物の査証 (ビザ) が何枚か展示されているだけでなく、施設案内リーフレットもパスポートの形をしていて、中に千畝手書き文字が印刷されている。広場の入口付近に千畝の胸像が佇んでいる。よく見る肖像写真同様に、きちんとネクタイをした背広姿で、6000人ものユダヤ人を救った、人間愛に満ちた千畝らしい顔立ちを見せている。


広場の中央には、平和を奏でるという意味で、パイプオルガンをイメージしたモニュメントがつくられている。長短160本のステンレスパイプと浅い池、同心円状の段差のある広場となっている。開園は平成4年 (1992) のことであった。

道路を挟んだ北側に、ユニークなデザインの記念館が建てられている。玄関入口上部に嵌め込まれた、45度に傾いた格子の枠組みが印象的である。展示室内部は6つのコーナーとデッキ状の2階とで構成されており、観て歩く間にホロコーストとは何か、千畝はなぜビザを発給したのか、助けられたユダヤの人たちの足跡 (そくせき) などが理解できるようになっている。
ガラスケースの中に実物の査証 (ビザ) が何枚か展示されているだけでなく、施設案内リーフレットもパスポートの形をしていて、中に千畝手書き文字が印刷されている。広場の入口付近に千畝の胸像が佇んでいる。よく見る肖像写真同様に、きちんとネクタイをした背広姿で、6000人ものユダヤ人を救った、人間愛に満ちた千畝らしい顔立ちを見せている。


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