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清水寺背景の照葉樹林
「清水の舞台から飛び降りる」 とは、“非常な決意をした” ことのたとえである。その清水寺は、広隆寺や鞍馬寺とともに、平安京遷都 (794) 以前からの歴史をもつ、数少ない寺院のひとつである。現在では、同じ東山山系の銀閣寺や西部の嵐山、金閣寺などと並んで、最も人気の高い観光名所になっている。ユネスコの世界遺産にも登録されている。
両側にお店の並ぶ東山道の坂を上っていくと、正面に仁王門と三重の塔が見えてくる。門をくぐって、鐘楼やいくつかのお堂を過ぎると、いよいよハイライトの本堂に至る。本堂の屋根は、寄棟造りの桧皮葺きである。寛永10年 (1633)、徳川家光の寄進により建てられた。建物の前半分が山の斜面にせり出すように建てられており、ここを 「舞台」 と呼ぶ。上から見ても足がすくむが、下から見上げても、139本のケヤキの柱に支えられた舞台は怖く見える。

石段上の、朱塗りの仁王門 (下左の写真) の背景に、こんもりとした照葉樹林の山が見える。冬でも葉を落とすことなく、緑色を保つ常緑広葉樹の森である。舞台からも、奥の院への道をさらに進んだ 「子安堂」 (下右の写真) を取り巻く、うっそうとした森を見ることができる。
ここの照葉樹林は、シイノキ・クロバイ・サカキなどを構成種とし、この地域に自然に成立する植生である。しかし、長年、薪炭用として伐採されたため、アカマツや落葉広葉樹の森に変化していた。ところが、近年は松くい虫による松枯れや燃料革命の影響により、再び元のようなシイノキを中心とした照葉樹林に戻りつつあるという。

両側にお店の並ぶ東山道の坂を上っていくと、正面に仁王門と三重の塔が見えてくる。門をくぐって、鐘楼やいくつかのお堂を過ぎると、いよいよハイライトの本堂に至る。本堂の屋根は、寄棟造りの桧皮葺きである。寛永10年 (1633)、徳川家光の寄進により建てられた。建物の前半分が山の斜面にせり出すように建てられており、ここを 「舞台」 と呼ぶ。上から見ても足がすくむが、下から見上げても、139本のケヤキの柱に支えられた舞台は怖く見える。

石段上の、朱塗りの仁王門 (下左の写真) の背景に、こんもりとした照葉樹林の山が見える。冬でも葉を落とすことなく、緑色を保つ常緑広葉樹の森である。舞台からも、奥の院への道をさらに進んだ 「子安堂」 (下右の写真) を取り巻く、うっそうとした森を見ることができる。
ここの照葉樹林は、シイノキ・クロバイ・サカキなどを構成種とし、この地域に自然に成立する植生である。しかし、長年、薪炭用として伐採されたため、アカマツや落葉広葉樹の森に変化していた。ところが、近年は松くい虫による松枯れや燃料革命の影響により、再び元のようなシイノキを中心とした照葉樹林に戻りつつあるという。

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