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月ヶ瀬の梅林
「梅」 と言うと「月ヶ瀬」を思い起こす。古い吊り橋を取材するため亀山から加太 (かぶと) あたりを走っているとき、「月ヶ瀬」 が近いことを記した道路標識を見つけた。以前から行ってみたい名所であり、季節も花盛りにぴったりであったので、そちら方面にハンドルを切った。
名阪国道・奈良県入口の五月橋インターチェンジを降り、五月川 (名張川下流域の名称) 沿いに西に向かうと、その対岸に 「月ヶ瀬の梅林」 が広がっている。1969年、下流に高山ダムができたため現在はダム湖となっているが、かつては深く刻まれたV字谷であった。その急な斜面に梅の木が植えられているので、「月ヶ瀬梅渓」 とも呼ばれている。

この梅林の歴史は古く、南北朝時代まで遡るという。元弘元年 (1331) に起った元弘の乱で、大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する折に女官の1人が月ヶ瀬に逃れ、村人に助けられてこの地に滞在した。この女官が熟した梅の実を見て、京で使われる 「紅花」 を作るための 「烏梅」 の製法を教えたという。急斜面で耕作地の少ない斜面では貴重な換金作物であることから、15世紀ごろにはこの一帯は梅林で埋め尽くされたという。現在も1万本以上が栽培されており、国の名勝に指定されている。
昭和40年ごろに、東山植物園では梅林を整備する計画が持ち上がった。参考にしたのがこの月ヶ瀬で、当時造園係の技師であった今枝俊雄氏が現地を視察し、地形の似た斜面地に梅林を造成したという。

名阪国道・奈良県入口の五月橋インターチェンジを降り、五月川 (名張川下流域の名称) 沿いに西に向かうと、その対岸に 「月ヶ瀬の梅林」 が広がっている。1969年、下流に高山ダムができたため現在はダム湖となっているが、かつては深く刻まれたV字谷であった。その急な斜面に梅の木が植えられているので、「月ヶ瀬梅渓」 とも呼ばれている。

この梅林の歴史は古く、南北朝時代まで遡るという。元弘元年 (1331) に起った元弘の乱で、大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する折に女官の1人が月ヶ瀬に逃れ、村人に助けられてこの地に滞在した。この女官が熟した梅の実を見て、京で使われる 「紅花」 を作るための 「烏梅」 の製法を教えたという。急斜面で耕作地の少ない斜面では貴重な換金作物であることから、15世紀ごろにはこの一帯は梅林で埋め尽くされたという。現在も1万本以上が栽培されており、国の名勝に指定されている。
昭和40年ごろに、東山植物園では梅林を整備する計画が持ち上がった。参考にしたのがこの月ヶ瀬で、当時造園係の技師であった今枝俊雄氏が現地を視察し、地形の似た斜面地に梅林を造成したという。

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