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京都三条大橋
一昨年巡り歩いた旧東海道シリーズの最終段階で、「お江戸日本橋」 についてご紹介した (平成29年3月1日掲載)。ここが東海道五十三次の東の出発点であり、現在は日本の道路元標が置かれている所である。一方で、その終点である 「京都三条大橋」 については、まだ取材しておらずブログ掲載が出来ていなかった。
今回、京都の庭園視察で訪れた折に、烏丸御池から歩き始めて三条大橋に辿り着くことができた。江戸時代、参勤交代の大名を始め、江戸へ下る人々はここから東海道を歩き始めたのである。橋の下を流れる鴨川の水は、あまり遠くない鞍馬方面の山々から流れ出すので、涼しげで透明である。

この橋が最初に架けられた年代は明らかではないが、室町時代前期には簡素な構造のものがあったと推定されている。本格的な橋となったのは天正18年 (1590) で、豊臣秀吉の命により大改造が行なわれたと擬宝珠に記録されている。擬宝珠は天正のものと昭和のものが混用されているが、その銘の中に 「天正十八年」 や 「豊臣」 の文字を読み取ることが出来る。
江戸時代になって東海道の西の起点になると、幕府の公儀橋として維持管理が行われた。元禄以来たびたび改造されてきたが、現在のものは昭和25年に架け替えられたものである。西北の橋詰めに、古い石造りの橋脚が保存・展示されている。

今回、京都の庭園視察で訪れた折に、烏丸御池から歩き始めて三条大橋に辿り着くことができた。江戸時代、参勤交代の大名を始め、江戸へ下る人々はここから東海道を歩き始めたのである。橋の下を流れる鴨川の水は、あまり遠くない鞍馬方面の山々から流れ出すので、涼しげで透明である。

この橋が最初に架けられた年代は明らかではないが、室町時代前期には簡素な構造のものがあったと推定されている。本格的な橋となったのは天正18年 (1590) で、豊臣秀吉の命により大改造が行なわれたと擬宝珠に記録されている。擬宝珠は天正のものと昭和のものが混用されているが、その銘の中に 「天正十八年」 や 「豊臣」 の文字を読み取ることが出来る。
江戸時代になって東海道の西の起点になると、幕府の公儀橋として維持管理が行われた。元禄以来たびたび改造されてきたが、現在のものは昭和25年に架け替えられたものである。西北の橋詰めに、古い石造りの橋脚が保存・展示されている。

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