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山口県岩国の「錦帯橋」
錦帯橋が完成したのは、延宝元年 (1673) のことである。その美しさは、江戸時代中期から評判になっていたという。当時の山陽道から外れているのにわざわざ迂回し、見物してから江戸へ向かう参勤交代の大名もいたほどであった。
現代でも、広島・山口旅行の計画には、ここ岩国が加えられることが多い。ちなみに私の高校修学旅行 (古い!50年以上も昔のこと) は、広島の平和公園、安芸の宮島、そして錦帯橋というコースであった。先だって(6月)広島県で開催された 「日本植物園協会」 の総会・大会に出席した機会に、久しぶりに同じコース巡りをしてみた。

岩国の城下町は錦川を挟んで、両側の平野にある。河川が蛇行するところでは、カーブの外側が削られて、内側に土砂を堆積する。山上の岩国城から見ると、堆積平野に家並みが集まっていることがよく分かる。錦帯橋は、両岸の城下町をつなぐためにどうしても必要だったのである。
しかし、流れの激しい錦川の、川幅200m近いところに橋を掛けることはとても困難な事業であった。藩主吉川広嘉は研究に研究を重ね、明 (中国) の「西湖」の橋をヒントに、5連のアーチ橋を造ることを思い立った。この反り橋の構造は巧妙かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ち所がないと言われている。現在、国の名勝に指定されている。


現代でも、広島・山口旅行の計画には、ここ岩国が加えられることが多い。ちなみに私の高校修学旅行 (古い!50年以上も昔のこと) は、広島の平和公園、安芸の宮島、そして錦帯橋というコースであった。先だって(6月)広島県で開催された 「日本植物園協会」 の総会・大会に出席した機会に、久しぶりに同じコース巡りをしてみた。

岩国の城下町は錦川を挟んで、両側の平野にある。河川が蛇行するところでは、カーブの外側が削られて、内側に土砂を堆積する。山上の岩国城から見ると、堆積平野に家並みが集まっていることがよく分かる。錦帯橋は、両岸の城下町をつなぐためにどうしても必要だったのである。
しかし、流れの激しい錦川の、川幅200m近いところに橋を掛けることはとても困難な事業であった。藩主吉川広嘉は研究に研究を重ね、明 (中国) の「西湖」の橋をヒントに、5連のアーチ橋を造ることを思い立った。この反り橋の構造は巧妙かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ち所がないと言われている。現在、国の名勝に指定されている。


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