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大須文庫 (2014・01・10の再掲)
岩瀬文庫、蓬左文庫を掲載したならば、「大須(真福寺)文庫」を忘れるわけにはいきません。名古屋・愛知が先人のご努力により、これほど素晴らしい文化を残していただけたということを、我々は再認識しなければいけないと思います。
名古屋城と熱田神宮の中間地点に大須の町がある。江戸時代から大須観音の門前町として栄えた歓楽街で、今もユニークな商店街として賑わっている。

この大須観音 (真福寺) に日本で最も重要なお文庫 「大須文庫」 があることを知る人は意外に少ない。本堂の左翼 (東側) に木の看板が掲げられているが、本堂の賑わいとは裏腹にひっそりとしている。しかし、ここには、国宝 「古事記」 (真福寺本=現存する最古の写本) や40点以上の重要文化財を含む約15000点もの古典籍が収蔵されているのだ。
この寺院は、もともとは木曽川中州の岐阜県羽島にあった。しかし、この地は地盤が低く、たびたび水害に襲われていた。徳川家康はこの貴重な蔵書を水難から守るため、慶長17年 (1612) に新しい城下町・名古屋にお寺ごと移転したのである。

古事記は、かつて東京国立博物館に収蔵されていた。これは、大須観音では充分安全な保存が困難であるとの配慮であったが、名古屋市博物館の完成と名古屋市民の熱意が実を結んで、今は名古屋に帰されている。一昨年(2012年)、名古屋市博物館で 「古事記1300年・大須観音展」 が開催された。これは大須観音の移転400年を記念するものであった。


名古屋城と熱田神宮の中間地点に大須の町がある。江戸時代から大須観音の門前町として栄えた歓楽街で、今もユニークな商店街として賑わっている。

この大須観音 (真福寺) に日本で最も重要なお文庫 「大須文庫」 があることを知る人は意外に少ない。本堂の左翼 (東側) に木の看板が掲げられているが、本堂の賑わいとは裏腹にひっそりとしている。しかし、ここには、国宝 「古事記」 (真福寺本=現存する最古の写本) や40点以上の重要文化財を含む約15000点もの古典籍が収蔵されているのだ。
この寺院は、もともとは木曽川中州の岐阜県羽島にあった。しかし、この地は地盤が低く、たびたび水害に襲われていた。徳川家康はこの貴重な蔵書を水難から守るため、慶長17年 (1612) に新しい城下町・名古屋にお寺ごと移転したのである。

古事記は、かつて東京国立博物館に収蔵されていた。これは、大須観音では充分安全な保存が困難であるとの配慮であったが、名古屋市博物館の完成と名古屋市民の熱意が実を結んで、今は名古屋に帰されている。一昨年(2012年)、名古屋市博物館で 「古事記1300年・大須観音展」 が開催された。これは大須観音の移転400年を記念するものであった。


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