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岩国徴古館
岩国城から下るロープウェーから見ると、眼下に吉香公園が広がっている。この公園は城主の居館跡や武家屋敷跡などが明治になって市民開放されたものである。桜・紅葉・牡丹など四季折々の花が植えられているが、6月末だったので花菖蒲や紫陽花がきれいに咲いていた。
その一角に 「岩国徴古館」 が建っている。物資統制下の戦時中に、旧藩主吉川家が “郷土に博物館を” という熱い思いで取組んだもので、昭和17年に起工し20年に完成した。設計した佐藤武夫は名古屋生まれ、岩国中学卒業後早稲田大学で建築学を専攻し、後に教授となる。建築音響学の分野を開拓し、日本建築学界の会長まで勤めた名建築家である。

この建物は、佐藤武夫が若い学究心を燃やして初めて手がけた作品で、ヨーロッパの古典主義を基本としながらも、自身の建築家としての才気を表したものである。外観はシンプルな直線で構成され、壁面は豪華な石張りなどではなくコンクリートのブロックを積んだような景観である。
展示室内部は白い漆喰塗りであるが、アーチ状の梁や下部の広がった列柱、木製の階段などに個性が発揮されている。物資の乏しい戦争中につくったとは思えない、豊かさを感じさせる建築である。

その一角に 「岩国徴古館」 が建っている。物資統制下の戦時中に、旧藩主吉川家が “郷土に博物館を” という熱い思いで取組んだもので、昭和17年に起工し20年に完成した。設計した佐藤武夫は名古屋生まれ、岩国中学卒業後早稲田大学で建築学を専攻し、後に教授となる。建築音響学の分野を開拓し、日本建築学界の会長まで勤めた名建築家である。

この建物は、佐藤武夫が若い学究心を燃やして初めて手がけた作品で、ヨーロッパの古典主義を基本としながらも、自身の建築家としての才気を表したものである。外観はシンプルな直線で構成され、壁面は豪華な石張りなどではなくコンクリートのブロックを積んだような景観である。
展示室内部は白い漆喰塗りであるが、アーチ状の梁や下部の広がった列柱、木製の階段などに個性が発揮されている。物資の乏しい戦争中につくったとは思えない、豊かさを感じさせる建築である。

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