Entries
蟹江の「御葭橋(みよしばし)」
また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。
この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

- 関連記事
-
- 山口県岩国の「錦帯橋」 (2018/08/03)
- 蟹江の「御葭橋(みよしばし)」 (2018/07/17)
- 京都三条大橋 (2018/06/20)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/475-d60f2b30
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)