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湯谷の「水車製材所」跡
豊川の河口部には、上流から流れてきた 「いかだ」 の集積地があり、板や柱に加工する製材所が たくさんあった。明治末になって鉄道が通るようになると材木を陸送できるようになり、山間部にも製材所が設置された。
湯谷にあった 「東川製材所」 もそのひとつで、明治42年 (1909) に建設されたものである。戦後まもなく工場は焼失したが、水車や石組みが残っているという。赤い吊り橋から眺めると、川中の巨石 「馬の背岩」 の左岸にそれらしい痕跡を見ることができる。

国道151号線から回り込んで近くへ行ってみると、確かに鉄製の大きな水車がわずかに頭だけを見せている。土砂や草に埋もれて全貌を見ることはできないが、水車の直径は5.5m、幅は1.22mもあったとのこと。水の力を利用して、ノコギリを回したのであろう。
水車の水源は、280mもの上流にあった。小さな堰が今も残っていて、川の端に取水口跡がある。水路はすでに埋め立てられていて、今は 「ささやきの小径」 と呼ぶ散策路になっている。この古い温泉郷には、手筒花火や五平餅、天下の奇祭と言われる 「花まつり」 などの伝統的な文化が息づいている。

湯谷にあった 「東川製材所」 もそのひとつで、明治42年 (1909) に建設されたものである。戦後まもなく工場は焼失したが、水車や石組みが残っているという。赤い吊り橋から眺めると、川中の巨石 「馬の背岩」 の左岸にそれらしい痕跡を見ることができる。

国道151号線から回り込んで近くへ行ってみると、確かに鉄製の大きな水車がわずかに頭だけを見せている。土砂や草に埋もれて全貌を見ることはできないが、水車の直径は5.5m、幅は1.22mもあったとのこと。水の力を利用して、ノコギリを回したのであろう。
水車の水源は、280mもの上流にあった。小さな堰が今も残っていて、川の端に取水口跡がある。水路はすでに埋め立てられていて、今は 「ささやきの小径」 と呼ぶ散策路になっている。この古い温泉郷には、手筒花火や五平餅、天下の奇祭と言われる 「花まつり」 などの伝統的な文化が息づいている。

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