Entries
甚目寺の伽藍
「津島上街道」 は勝幡・甚目寺・清洲を経由して名古屋に至る。甚目寺近くの道路わきに 「右つしまみち」 と刻まれた古い道標が立っていた。お寺の名前が町名にもなっていた 「甚目寺町」 は、今は七宝町・美和町の3つが合併して 「あま市」 になっている。
“あま” は、もともとの “海部郡” に由来する。海部郡は、尾張の国の西端に位置する広域な平野で、大部分が木曽川の三角州に属し、沖積層と干拓地から成り立っている。古い街道や道端の道標などを見ると、その結びつきの深さを理解できる。

「甚目寺」 はその縁起によれば、推古天皇5年に紫金の聖観音像が安置されたことに始まるという。明治末期に発掘された瓦などにより、奈良時代以前に大伽藍があったことが確認されている。江戸時代には、尾張四観音の筆頭の格をもち、現在も節分会には多くの参拝客で賑わっている。
南大門は、建久7年 (1196) に源頼朝の命により建立されたという。三間一戸の入母屋・柿葺 (こけらぶき) で、左右に仁王様が安置されている。三重塔は、三間三重塔婆で本瓦葺である。擬宝珠の銘に寛永4年 (1627) とあることから、建立年代は明らかである。いずれも国の重要文化財に指定されている。

“あま” は、もともとの “海部郡” に由来する。海部郡は、尾張の国の西端に位置する広域な平野で、大部分が木曽川の三角州に属し、沖積層と干拓地から成り立っている。古い街道や道端の道標などを見ると、その結びつきの深さを理解できる。

「甚目寺」 はその縁起によれば、推古天皇5年に紫金の聖観音像が安置されたことに始まるという。明治末期に発掘された瓦などにより、奈良時代以前に大伽藍があったことが確認されている。江戸時代には、尾張四観音の筆頭の格をもち、現在も節分会には多くの参拝客で賑わっている。
南大門は、建久7年 (1196) に源頼朝の命により建立されたという。三間一戸の入母屋・柿葺 (こけらぶき) で、左右に仁王様が安置されている。三重塔は、三間三重塔婆で本瓦葺である。擬宝珠の銘に寛永4年 (1627) とあることから、建立年代は明らかである。いずれも国の重要文化財に指定されている。

- 関連記事
-
- 香嵐渓・足助八幡宮 (2018/11/14)
- 甚目寺の伽藍 (2018/10/21)
- 町並みの商店 (2018/10/05)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/493-4d8e6bbe
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)