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土岐市の高山城跡
庄内川は、岐阜県内では 「土岐川」 と呼ばれている。水源は恵那市の夕立山で、瑞浪・土岐・多治見の盆地を流れ、玉野渓谷を抜けて春日井市高蔵寺で濃尾平野に出る。名古屋市の北と西を迂回して、伊勢湾に注いでいる。
土岐川の氾濫原を見下ろす細長い丘陵の上に、「高山城」 の跡がある。標高183m、麓からの高さは約57mである。通称 「サバ」 と呼ばれる砂岩層の断崖上に築かれていた。山頂の城跡に建てられた展望台から眺めると、土岐川と川沿いの細長い盆地が手に取るように見える。

築城は承久の乱 (じょうきゅうのらん=1221年) の頃という。源氏の流れを汲む美濃源氏・土岐氏一族の高山氏により創建された。時代は下って戦国時代、織田信長の臣下となった高山城主は、この城を強固な要塞と成して守護に当たったが、武田の大軍の前に敗れ去った。
現在、山上の城跡は、市民の憩いの場として整備されている。「高山城高山宿史蹟保存会」 のホームページには、城の想像図が掲載されていて、往時の様子を知ることができる。城跡を取巻く森林は 「城跡の森」 と名付けられて 「自然保護公園」 に位置づけられている。


土岐川の氾濫原を見下ろす細長い丘陵の上に、「高山城」 の跡がある。標高183m、麓からの高さは約57mである。通称 「サバ」 と呼ばれる砂岩層の断崖上に築かれていた。山頂の城跡に建てられた展望台から眺めると、土岐川と川沿いの細長い盆地が手に取るように見える。

築城は承久の乱 (じょうきゅうのらん=1221年) の頃という。源氏の流れを汲む美濃源氏・土岐氏一族の高山氏により創建された。時代は下って戦国時代、織田信長の臣下となった高山城主は、この城を強固な要塞と成して守護に当たったが、武田の大軍の前に敗れ去った。
現在、山上の城跡は、市民の憩いの場として整備されている。「高山城高山宿史蹟保存会」 のホームページには、城の想像図が掲載されていて、往時の様子を知ることができる。城跡を取巻く森林は 「城跡の森」 と名付けられて 「自然保護公園」 に位置づけられている。


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