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土岐・高山の穴弘法
土岐・高山城跡は、麓から約60m高いところにある。砂岩でできた急な坂を息を切らせて登っていく。守るに易く、攻めるに厳しい自然の要害である。坂道の途中に少し開けたところがあって、「古城山穴弘法大師」 と記された木柱が立っている。
周りが切立った石の壁になっていて、ここだけが平らな地形である。崖からは小さな滝が落ちていて、水は細い流れになっている。全体に湿気があるために、砂岩の割れ目にはシダ植物が繁茂している。

屋根のように迫り出した大岩の影には小さな祠が建てられている。「本来無一物」 と書かれた扁額の下に石の仏様が安置され、その前に木魚と賽銭箱が置かれていた。その脇の岩のくぼみや大穴の中に数多くの仏様が祀られている。岩が砂岩なので、穴が穿ち易いのであろう。
説明看板を見ると、「穴弘法は戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を祀っている」 とある。元禄元年(1688)に 「慈光院梵燈寺」 というお寺が建てられたが、二代目住職の後は廃寺となり荒れ果ててしまった。明治になって地元の人々の力で再興され、「穴弘法」 として信仰を集めて今日に至っている。


周りが切立った石の壁になっていて、ここだけが平らな地形である。崖からは小さな滝が落ちていて、水は細い流れになっている。全体に湿気があるために、砂岩の割れ目にはシダ植物が繁茂している。

屋根のように迫り出した大岩の影には小さな祠が建てられている。「本来無一物」 と書かれた扁額の下に石の仏様が安置され、その前に木魚と賽銭箱が置かれていた。その脇の岩のくぼみや大穴の中に数多くの仏様が祀られている。岩が砂岩なので、穴が穿ち易いのであろう。
説明看板を見ると、「穴弘法は戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を祀っている」 とある。元禄元年(1688)に 「慈光院梵燈寺」 というお寺が建てられたが、二代目住職の後は廃寺となり荒れ果ててしまった。明治になって地元の人々の力で再興され、「穴弘法」 として信仰を集めて今日に至っている。


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