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伊世賀美隧道と伊勢神トンネル
名古屋城下から、三州・足助を経て、信州・飯田へ向かう道を飯田街道という。海岸地方から山国へ塩を運んだので 「塩の道」 といい、馬で運んだので 「中馬街道」 ともいう。現在の路線では、おおむね国道153号線が相当する。
この山岳道路の中でも最も厳しい難所は、足助と稲武の間の伊勢神峠 (標高約800m) であろう。現在の自動車社会でも、曲がりくねった坂道は容易でないが、馬や徒歩しかなかった時代には大変な苦労であったと思われる。ほっと一息のつける峠の上には、伊勢神宮遥拝所があるという。

初めてのトンネル (上の写真) が掘られたのは、明治30年 (1897) のことである。延長308m、全面石張りである。入口の扁額には、読みは同じ “いせがみ” であるが、文字は 「伊世賀美」 と記してある。もともとの地名であろうか。かの幽霊伝説は、つとに有名である。現在も通行可能である。
今、普通に利用されているのは、昭和35年に開通した2本目である (下の写真)。今度は 「伊勢神トンネル」 となった。最初のは馬車主体であったので、車の大型化には対応できなくなったのである。この2本目も今となっては幅員が狭く高さも低いので、冷凍トラックなどは天井を擦って走っている。そこで、現在3本目のトンネルを建設中である。

この山岳道路の中でも最も厳しい難所は、足助と稲武の間の伊勢神峠 (標高約800m) であろう。現在の自動車社会でも、曲がりくねった坂道は容易でないが、馬や徒歩しかなかった時代には大変な苦労であったと思われる。ほっと一息のつける峠の上には、伊勢神宮遥拝所があるという。

初めてのトンネル (上の写真) が掘られたのは、明治30年 (1897) のことである。延長308m、全面石張りである。入口の扁額には、読みは同じ “いせがみ” であるが、文字は 「伊世賀美」 と記してある。もともとの地名であろうか。かの幽霊伝説は、つとに有名である。現在も通行可能である。
今、普通に利用されているのは、昭和35年に開通した2本目である (下の写真)。今度は 「伊勢神トンネル」 となった。最初のは馬車主体であったので、車の大型化には対応できなくなったのである。この2本目も今となっては幅員が狭く高さも低いので、冷凍トラックなどは天井を擦って走っている。そこで、現在3本目のトンネルを建設中である。

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