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香嵐渓・足助八幡宮
「塩の道」 足助宿の入口に、大きな木々に囲まれた神社がある。「足助八幡宮」 という。紅葉と春のカタクリで有名な香嵐渓と、飯田街道を挟んだ反対側にある。香嵐渓の駐車場へ入る交差点にあるのだが、いつも渋滞に気をとられてあまり注目されないかも知れない。
社伝によれば創建は古く、天武天皇の白鳳2年 (673) という。北に足助川が流れ、東を流れる巴川と合流して今度は西側を区切っている。南東には、飯を山盛りにしたような形の飯盛山が聳えている。東の青竜・西に白虎・南に朱雀・北は玄武と四神相応のめでたい神域といわれている。

人だかりの多い拝殿 (下左の写真) の奥に、ひっそりと本殿 (上の写真) が柵に囲まれて鎮座している。様式は、前面の屋根を長く伸ばした流造りで、いわゆる 「三間社流造・桧皮葺」 である。文政元年 (1466) の再建といわれる。妻飾・像鼻・手挟や蝦虹梁などに特徴があり、室町時代の作として国の重要文化財に指定されている。
拝殿の正面にひときわ高く聳える杉の大木がある。幹周り6.8m、樹高45.5m、樹齢は500年以上と推定されている。境内の入口近くに小さな木造の建物 (下右の写真) が佇んでいる。これは 「鐘楼」 の名残である。明治になるまで八幡社には神宮寺が併設されていたが、明治維新の神仏分離政策により撤去されてしまったのである。


社伝によれば創建は古く、天武天皇の白鳳2年 (673) という。北に足助川が流れ、東を流れる巴川と合流して今度は西側を区切っている。南東には、飯を山盛りにしたような形の飯盛山が聳えている。東の青竜・西に白虎・南に朱雀・北は玄武と四神相応のめでたい神域といわれている。

人だかりの多い拝殿 (下左の写真) の奥に、ひっそりと本殿 (上の写真) が柵に囲まれて鎮座している。様式は、前面の屋根を長く伸ばした流造りで、いわゆる 「三間社流造・桧皮葺」 である。文政元年 (1466) の再建といわれる。妻飾・像鼻・手挟や蝦虹梁などに特徴があり、室町時代の作として国の重要文化財に指定されている。
拝殿の正面にひときわ高く聳える杉の大木がある。幹周り6.8m、樹高45.5m、樹齢は500年以上と推定されている。境内の入口近くに小さな木造の建物 (下右の写真) が佇んでいる。これは 「鐘楼」 の名残である。明治になるまで八幡社には神宮寺が併設されていたが、明治維新の神仏分離政策により撤去されてしまったのである。


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