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旧国鉄中央線廃線「愛岐トンネル群」
国鉄中央線 (現在はJR) は、明治33年 (1900) に名古屋―多治見間が開通しました。かつての中山道に近いこの路線は、明治の 「殖産興業」 の時代から戦後の 「高度成長」 の時代まで、中部の発展と近代化に多大な貢献をしてきました。
しかし次第に、高速で大量の輸送には対応できなくなり、複線電化と長大トンネルによる新線が整備されることとなりました。昭和41年 (1966)、高蔵寺―多治見間の8kmの軌道敷きと13のトンネルは廃止されることとなったのです。

この廃止された線路は、いつしか人々の記憶から忘れ去られ、茂った藪の中に埋もれてしまいました。平成17年 (2005)、勝川駅の高架化改修工事で明治時代の赤煉瓦プラットホームが撤去されました。その時、地元の古老のかすかな記憶を頼りに、トンネルの探索が始まったといいます。
その後、市民グループが結成されて発掘と調査が始まり、誰もが安全に歩けるまでに整備されました。そして今、春の新緑・秋の紅葉時に一般公開され、18万人もの行楽客が訪れる観光地になっています。現在、ナショナルトラストにより敷地が取得され、経済産業省の「近代化産業遺産」 や文部科学省の 「登録有形文化財」 にも認定されています。


しかし次第に、高速で大量の輸送には対応できなくなり、複線電化と長大トンネルによる新線が整備されることとなりました。昭和41年 (1966)、高蔵寺―多治見間の8kmの軌道敷きと13のトンネルは廃止されることとなったのです。

この廃止された線路は、いつしか人々の記憶から忘れ去られ、茂った藪の中に埋もれてしまいました。平成17年 (2005)、勝川駅の高架化改修工事で明治時代の赤煉瓦プラットホームが撤去されました。その時、地元の古老のかすかな記憶を頼りに、トンネルの探索が始まったといいます。
その後、市民グループが結成されて発掘と調査が始まり、誰もが安全に歩けるまでに整備されました。そして今、春の新緑・秋の紅葉時に一般公開され、18万人もの行楽客が訪れる観光地になっています。現在、ナショナルトラストにより敷地が取得され、経済産業省の「近代化産業遺産」 や文部科学省の 「登録有形文化財」 にも認定されています。


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